今日のことば

2004年1〜6月の今日のことば
2004年7月〜の今日のことば


12月30日
幸福論

今日、部屋の大掃除をしていたら
むかしの新聞切り抜きが出てきた。

以前TBSのニュース23という番組で
「幸福論」と題して、さまざまな人々の「幸せ」の
形について紹介して、「あなたの幸福論とは何か」を
問うていた。
それについて新聞の投書欄に
大学生の女の人が投稿していた。
面白かったのでそれを抜粋。
誰にでも当てはまる絶対的な「幸福論」はないと思っている。
大切なのは、自分の中の「幸福論」を
見つけ出すことなのではないだろうか。
偉そうなことを言う私自身まだ自分の中の
「幸福論」を見つけ出せていない。
だから、ちょっと他人の「幸せの形」をのぞいてみたくなるのだろう。
最近思うことは、幸せを追い続けることが幸福論なのかもしれない。


12月29日


今日、涼子さんの友だちたちが
遊びに来た。
この「ともだち」というのを
複数形にするときってどうすればいいのだろうかと
文を書くときにときどき迷う。
「友だち」の場合は、
単数形も複数形もいっしょなのかもしれないとも考えられる。
あっ、でも日本語の場合って
本が複数になっても
3冊の本たちとは言わないよな。
3冊の本
でいいわけだ。
そうかそうか。

お好み焼きを鉄板焼きして食べた
「音の共有」とメモした
場の共有でもいいかもしれない。
空間の共有も大切という話しにもなる
こうして書いても読んでる人は
なにがなんだかわからないだろうなと反省
でもどんな話しだったかを説明するのは
難しいし。

夢にまで見たあの外国
ガンジス流れる聖なる大国
こんな俺ここまで育てしこの大国
両者それぞれある種大国
かなり違ったベクトル持つ大国
この大国のそもそもの始まりはむかしの開国
あなたは知っていましたか
海の外出て生まれしこの愛国
持てと強要は そりゃ よくよくないね
 よくよく考えてもそりゃよくないね
その催促

詩のまねをしてみるの巻
はずかし

12月28日
ふつうって何?

きのうは、鍋の会だった。
忘年会を兼ねていたこともあり
盛り上がって、
朝まで語り合った
一部、一抜けた状態でいびきをかいていた
人もいたが。

例えば、こんな話しで盛り上がった。
「ふつう」って何?
ということ。
人それぞれでふつうって違うよねー。
でも、その一方で自分と周りを比べて
自分はふつうではない
とか
自分はふつう以下だ
とかと悩むことは実際ある。
これは人類共通の悩みであろう。
エリートサラリーマンだって
同期のだれだれが出世したとか、
同期のあいつが、
国産タバコの俺と違って外国産タバコを愛用(吸引)しているとか、
シャンプーを毎日、しかも、一度に3回もしているとか、
リンスインで済ますことなく、コンディショナ−を常用しているとか、
靴下は100円ショップでなく、3足980円を迷うことなく買っているとか、
コンビニでお弁当を買うとき、値段の合計を計算しないで
レジに向かうとか、
本を文庫化されるのを待ったりせずに単行本の時点で迷わず買うとか
数え上げたらきりがないほど
他人と自分を比べて一喜一憂する。

まぁ、いろいろ書きましたが。

ふつうになりたいと「ふつう」に憧れる時期と。
まわりを認めさせたいと、「特別な存在」に憧れる時期がある。
誰でもできると思えることを、たんたんとこなすことが
実は案外難しかったり、大事だったりするという
話しにも発展した。

それと、お約束の映画談義。
昨日、おすすめ☆度が高かったのが、
『真夜中のカウボーイ』
『カッコーの巣の上で』
『8Mile』エミネムの半自伝的映画 
『ハスラー』
『海辺の家』父親と息子の葛藤系映画
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』考えさせられる映画らしい。

みんなの意見の一致したのは、
映画に勇気をもらったり、考え方が柔軟になるきっかけになったり、
自分を取り囲む状態を客観視できたり、
主人公に自分を重ね合わせたりするという意味で
水野晴男ではないけれど
「いやー、映画ってやっぱりいいですねー」
という感想でした。
これからも
映画のはなししましょうね、みなさん。

今日は、高田馬場のBen s cafe(ベンズカフェ)というお店に
ポエトリー・リーディングを
見に行きました。
毎月第三・第四日曜日の夜7時くらいから10時くらいまで
自分のつくった詩を詠むんです。
叫んだり、歌にしたり、客席からお題をもらって
その場で即興で詩をつくったり
さまざまな人が舞台に登場します。
だれでも参加できます。
行ってその場で飛び入り参加OKなんです。
興味のある方は、
ホームページを見てみてはいかが。
ベンズカフェで検索すればおそらく出ますので。

それと、今日は、友だちの演劇を見にいきました。
いやはや、面白かったです。
コントもあって。
7年ぶりに彼に再会しました。
涙を流して笑いました。



12月26日
ふつう

今日、KICK THE CAN CREWのCDを
借りてきた
明日のダンスレッスンで使うため
「GOOD MUSIC」
「自由TIME 」
「性コンティニュー」
が入っているマキシシングルを借りた。

実は「ふつう」って幸せなこと
そう思う


12月25日
年末点検

そろそろ年末 大掃除の季節
やりましょうかね
楽しみでもあります
その一方で、面倒くさい気持ちもします
普段から整理整頓するよう心がけたいは心がけたいんですけど
なかなかそうもできないんですよね。
会社では「棚卸し」なるものを
毎月やったりしますが、
毎月、自分個人も棚卸しをする習慣ができたらいいなぁと思います
いつだって、気持ちだけが先行する僕ですが。

捨てる技術について書かれた本がブレイクした
ことが一昔前にあったけど
いま、自分の捨てるべきものが何かがわかっていることって
とても大事です。
必要なものとムダなもののライン
こだわることと、どうでもいいこと
好きなことと、キライなこと
やりたいことと、やりたくないこと
好きな味と、嫌いな味
そう、
年末ですから一度
自分の感性を点検してみてはいかがかしら?


12月24日
ショコラ

映画『ショコラ』
以前から友人からおすすめされていた
親子でとある町に引っ越してきて
チョコレートショップを始める話し
うまく説明できないが、
いい映画でした。
定住せずに、何度も引越しを続ける二人。
子どもは、引越しを拒否する場面も。


12月23日
サンバカーニバル

浅草の駅前にある
アサヒビール(通称ウ○コビル)のホールで
行なわれていたブラジルサンバのショーに
行った。
すごい盛り上がりようでした。
とんでもなく陽気な人がたくさんいた。
踊る踊る
腰を振る振る
笑う笑う
抱きつく抱きつく
いろいろ
するする。
どれもこれも倍くらいの量で圧倒された。

このサンバチームは
去年の浅草サンバカーニバルで
2位をとったほどの実力。
会場には300〜400人はいて、
熱気ムンムンでした。
午後3時から7時まで音楽、踊りガンガンでした。
僕は最後のほう踊りましたが、
サンバのリズムは早くてうまく
乗ることができませんでした。

僕は踊る阿呆ではなく
見る阿呆でした。
面白かったです。
そういえば、花小金井でも
サンバカーニバルが開かれるんだよなぁ。


12月22日
山あり谷あり人生

テレビで有名人、芸能人の辿った人生を
VTRで紹介する「波乱万丈」という番組がある。
あれはあれでとてもいい番組だ。
でも、ぼくらに必要なことが他にもある気がする。
それは、もっと身近で、普通の一般人の
人生における山あり谷ありを
聞くということ。
しかも、それを出来れば生で直接目の前で
つらかった時期、比較的楽しんだ時期、
そして、また今とても悩んでいる理由などを
聞くことができればいいと思う。
しかも、質問もできたりして。
とかく成功者の話を聞くというのはあるが、
その逆は少ないような気がする。
ヤオハンという会社の社長が
その失敗の経験をもとに経営コンサルティングをしているのは
面白い。

ほぼだれでもが紆余曲折があって今がある。
はたから見るとなんてしっかりしていて、
強そうで、俺なんかかないっこないと思わされる人でも
その人生の経歴や、悩みの内容を
聞いたりすると
案外共通するものがあったりすると思う
その事実を知ることをきっかけにして、
「ああ、なんだ。けっこう自分と同じような種類のことで
悩んだりしているんだ
俺だけがこだわって、悩んでいるわけじゃないんだ」
とか思ってもらうことが
できたらいいなあと思う。
というわけでこないだの鍋の会では
ある参加者の経歴を
発表してもらった。
それは、人にいろいろ考えるきっかけを
くれたと思う。
これからも
「ふつうの人の山あり谷あり人生」の発表を
やれたらいいなぁと思う。
もちろん強制したりはしないが。


12月21日
いろり

今晩は、八王子のほうの
味のあるお店に行った。
いろりのある店で、
砂肝、もも肉、しいたけ、シシトウ。
最後はとろろ飯でしめくくった。
いやはや、おいしかったです。
いろりの炭火はとてもあたたかかった。

昨日の鍋の会は、
クリームシチュー風味でした。
来てくださった方、ありがとうです。
昨日は竹内さんがいなかったので
いつもとちょっと違う雰囲気だった気がします。

今日は飯田橋に
「路草」という集まりに行ってきました。


12月19日
矢沢永吉風

昨日、図書館に寄った。
そのとき、我が家ではとっていない
新聞という読み物を読んだ。
おもしろかった。
どこがどう面白かったかというと
答えはあいにくもちあわせちゃいない。
毎日新聞に目を通した。

本を借りた。
『インドでわしも考えた』椎名誠
これは、以前(1年前くらい)にも
一度借りたが
結局読まずに返却した本だ。
こないだ念願のインドに上陸したので
今回、再度チャレンジの精神で拝借した。
前よりは現実感覚や「あるあるある」とかっていう
同じ体験を有した者同士の絆みたいなものを
胸に抱きながら流し読み、斜め読みを決め込もうかと
企んでいる。

それと、
『希望の国のエクソダス』村上龍
今、6ページ目を読んでいる。
今のところの登場人物は、
フリーの記者をやって10年目になるテツという男、
その彼女でこちらもフリーの取材記者、由美子
そしてパキスタンで地雷の爆風で怪我をした少年
そして、
今はパキスタンの部族の一員だという少年。
テツがこれからパキスタンに取材に行くという話の展開である。

こうしてあらすじを書いてなんの意味が
あるのだろうか。
別にないかもしれない。
なくったっていい。
意味のあることしかしないのが僕。
だから、今、意味がないかもしれないことを
している。
ただそれだけ。
日常を切り取ってみただけのこと。

そうそう ひきこもりがちな方から
メールをいただく機会が多い。
そうゆう方々に対して
「自分はどうして動けないのかを一緒に考えてみよう
一人で考えるのもいいけど、
二個、三個の脳みそつけあわせて
考えるのもたまには
スパイスが効いていいかもしんねぇぞ
ってことで、そゆうことできたらやる。
興味ある人、メールちょうだい。
詳しいこと打ち合わせしようぜ!
って書いてメールしてくる人は相当少ないことは
俺よく知っている。
それだけ行動に移すってことは
難儀なことなわけだ。
だから、俺は言いたい
メールを送ってみなさい、と。
すべてはそこから始まるぜ。

なぜか今日は矢沢永吉風なシャベリだぜ!
俺らしくねぇぜ


12月18日
NHK教育テレビ

今から、NHK教育テレビで
KICK THE CAN CREWを
見ます。
今日のトップランナーのゲストは、
キックザカンクルーです。

というわけでこれで終わります。


12月17日
ドラマ「北の国から」その2

「北の国から」をところどころ見る。
ほたるが妊娠した。
その事実を田中邦衛扮する父親に伝える。
孫の出来たことの嬉しさは
すごいものなんだなぁと
単純に見ていました。
へぇーっ、嬉しい嬉しいとは聞いていたが、
こんなにも嬉しいものなんだ
と思わされるドラマでした。
そうそう僕は前々から
子どもよりも先に孫が欲しいと
冗談で友達に言っていたことがありました。

kick the can crewのコンサートいいなぁ。
面白そう
興奮しそう
Rip Slymeのコンサートにも行ってみたいかな。


12月16日
ドラマ「北の国から」

テレビで「北の国から」を見た。
地井武男の奥さんが癌で亡くなった
ということ、
そして、ドラマのなかでも
妻を癌で亡くす設定。
このあたりにやられた。
そのときどんな気持ちなんだろう。
妻や夫、家族、近しい人を
失うというのはすごくつらいと思う。
僕にとっては想像でしかないのだけれども。
だから、軽はずみなことは
言えない。

ジュンが宮沢りえと
恋に落ちるあたりまで見た。
そして、ほたるは自分の勤める病院の
ドクターと駆け落ちをした。
そのあたりまでしか見なかった。
今日から5夜連続で放送されるらしい。

今日は、テレビドラマの説明でした。

12月15日
イライラ

いやぁ、昨日の鍋の会でも
話していたことなんですけど、
インドは僕たちにいろんなことを考えるきっかけをくれた。
インドでは
イライラすることがたくさんあった。
鉄道予約の窓口では
列車のチケット1枚を買うのに
2時間も待たされるのである。
しかもカウンターの男は
まったく急ぐことはない。
自分のペースでのんびりと
やっているのだ。
途中で後ろのオフィスに入っていったかと思うと
10分間くらい出てこなかったりする。
窓口で待たされている欧米人も
お手上げ状態である。

こんなに待たされるなんて想像も
していなかった僕らは
インドに到着して翌日の昼12時
ニューデリー駅の2階「外国人旅行客専用オフィス」に
行った。
中に入ってびっくり
30人くらい並んでいるではないか。
しかも、窓口の処理の時間がすごく時間が
かかっている。
その様子を見ていたら
いったいいつになったら自分の番が来るのだろうという感じ。
案の定2時間以上もかかってしまった。

窓口で使っているコンピュータは
とても古めかしい代物だった
ウィンドウズとはかけはなれていた。
ちなみに僕は9日間のインド滞在中に
ウィンドウズを見たのは
最後に泊まった高級ホテルの1台だけである。
IT技術は進んでいるはずだが、
見かけなかった。
あるところにはあるのだろうが、
僕が立ち寄ったなかには
なかった。


12月14日
混沌の国、インド

インド、そこは混沌の国だった。
道端に牛がのそのそと歩いている。
それにやはり感動した。
おお、ほんとうに歩いている。
牛はバザールという日本でいう
原宿の竹下通りみたいな道でも
のんびり自分のペースで歩いていて
ときどき、糞を落としたりしている。
その横をオートリキシャーという
三輪自動バイク(タクシー)が走りながら
クラクションをビービー鳴らしたりして。
自転車リキシャーという
人がこぐ自転車の後ろに
人力車みたいなのが
くっついてて
そこに客が乗る乗り物も
走る。
野良犬が歩く。
この国には野良犬が
たくさんいる。
インドに人は多い。
道は人でごった返している。
特にぼくら日本人にとっては
話し掛けてくる彼らが
うるさくて仕方がなかった。

今日は、インド話しはこれくらいにして、
今日は鍋の会、ダンスレッスンがあった。
来てくれた皆さん、ありがとうございました!
楽しかったです。
お酒をたくさん飲んだので
今日はこれで終わりにします。
まぁ、とにかく
ペット太田、下痢に悩まされながらも
元気に帰ってまいりました。
これからもよろぴく。

12月3日
古新聞考

うちでは、現在、ニュースはもっぱら
インターネットから得ている。
要するに紙メディアの新聞を
とっていないということである。
これは最初、憧れた。
情報はネットから得るというのが
妙にかっこいーっと思った。

しかし、最近、紙の新聞も
よかったよなぁなんて
思うようになりつつある。
なんてったって
手にとって新聞読んでるーという感触がいい。
そして、全体を眺めて面白そうなとこだけ
いいとこどりして読める。
だから、15分で全体を一気に流すこともできるし、
ちょっと夕食ができるまでの小1時間読むこともできる。
何より政治、経済、社会、文化など
いろんなことがごった煮に入っている。
やっぱり新聞っていいなぁと思う。

僕は思う。
古新聞でもいいなって。
別に今日の記事を今日読まなくてもいい。
今日昨日の記事が読めれば十分である。
もっと言えば、1週間遅れで
古新聞が我が家にやってきたっていい。
それが、定期的に届けられるという一線だけが
クリアされていれば。
新聞購読料が、通常3千円のところが、
翌日届けだと、2千円。
1週間遅れだったら、月々たったの
500円だったら、僕はすぐに
飛びつくだろう。
おもしろそうじゃない?
だれか、こうゆうサービス始めてみない?
助かる人、多いだろうなぁと思う。
これらのユーザーは、もともと新聞を
とっていない人たちだろう。

ちなみに
僕はむかし、日経流通新聞というのを
読んでいた。
これは、ほんと面白い。
どんな新聞かというと
今の世の中で流行しているものについて
いろいろ記事がのってる。
ダイエットサプリメントのベスト10だとか、
パソコンの売れ筋調査だとか、
スターバックス成功の秘密だとか。
そういったことが毎日紙面を賑わせている。
こうゆう新聞だって
ある人にとっては、
タイムリーに欲しい情報かもしれないけど、
ある人にとっては
少しくらいのタイムラグは
全く問題がない。

僕は、道を歩く
急いでいるときには
信号がりんご色でも渡ることがある。
すいません。
こうゆう時思う。
もしもぼくが車だったら、
違反切符を切られて
減点、罰金、ひどい時には免許停止。
こうなると運転をしてはいけなくなる。

自転車だったら、
そう滅多なことでは運転禁止になることはない。

そして、人だったら
なおさら
歩行禁止になることはめったにない。
ぼくは歩行者でよかったと思う

車を運転していて赤信号無視をしたら
人をひいてしまい、人を傷つけてしまう
恐れがあるから
ダメなのだとぼくは解釈する。
歩いていて信号無視して
怪我をするのは自分だから
いいのだろうか。
でも、これは他人に迷惑をかけないかというと
そんなことはない。
運転していた人が罰せられるのだ。
車が歩行者よりも悪いという掟がある。

結局、何が言いたいのかまとまらないが、
明日が早いので、
今日はもうおしまいにする。

次回のこのページの更新は
12月14日以降になります。

12月2日
インドが楽しみ

インドのことをもう少し。
成田からデリー空港に飛びます。
所要時間は約8時間
日本との時差は3時間半

インドは人間のるつぼ
そこを旅したいと思う。
それは自然なこと。
日本のように、全体がなんとなく同質の社会
島国のムラ社会ではないだろう
インドでは個性が強い人間や集団がひしめきあい
多様な価値観や生き方が渦巻いているのだろう。
どんなことでも平気で起こりそうな感じがする。

それは大層楽しみである。
ま、相当疲れることも予想されるが。
いちいち自分の個性を
主張しなければ
「お前は何者なのだ。
お前の主張はなんなのだ。
お前の言い分を聞かせろ!
の連続だったりしたら
「へぇへぇ、あっしの考えは、
あなた様と同じでございます。
似たりよったりの平凡な考えの持ち主でやんす。
そりゃ当然同じ考えに決まってるじゃないですか」
という言い方が普通に通る日本というのは
そうゆう意味では、
ラクな社会である。

欧米では、すぐに
what do you think?
あなたはどう思うの?
と聞かれる。
となりの人と同じ意見を言ったりしても
why?とくる
どうしてそう思うんだ。
とたたみかけられる訳である。
この矢継ぎ早の攻撃はすごい。
自分が疲れてるときなんかはたまったもんじゃない。
また、別にこの問題については
関心がないなぁということで
別に意見はない
といったりすると
不思議そうな顔で見られたり。
まぁ、この話しはあくまで私個人の経験から
話していることを断っておきます。

それは日本でいえば
政治に無関心な若者に対して
政治に関心のある大人が
向ける眼差しと似たものがある気がする

政治モードもいいけど
iモード(アイモード)も大事な気がする
あ、でも他者モード、
社会モードも大事かもなぁ。
自己愛が極端にすすむというのも
いかがなものかと危惧する部分もあるので。

12月1日
ペット太田が、インドへ行くらしい!?

いやぁ、2日ぶりの更新です。
一大イベントも無事終えることが出来ました。
一大イベントがどんなだったかお知りになりたい方は
鍋の会で直接僕に聞いてくださいね。

僕は、今週木曜日から旅行に行きます。
行き先はインドです。
ガンジス河にも行きます。
さぁ、どんな旅になるでしょう。
ちなみに、
向こうでの宿(ホテル)は、
最初の1泊だけしか
予約していません。
バックパッカー状態です。

人生観が変わるかもしれません。
どんなふうに変わるんだろうか。
楽しみです。
ヒゲを生やして帰ってくるか、
首にヘビを巻いて帰ってくるか
右手から砂を出せるようになってきたり。
朝の食卓にナンを並べるようになったり、
八百屋の店先で値段交渉をしたり、
はたまた
人力車商売を始めたり、
紅茶はあま〜いミルクティー(チャイ)にしたり、
カレーを手で食べるようになったり
もう日本には帰らないなんて言い出したりして・・・
まぁ、そんなことはないですが

成田帰国予定は、12月13日土曜の朝です。
翌日、12月14日日曜日は
ダンスレッスン&鍋の会をやります!
おみやげ話し持ち帰り予定!


11月28日
明日は一大イベントがやってくる!

どうもこんばんわ。
さっき映画『ノッティングヒルの恋人』を
借りてきました。
見る時間があったら見ようと
思いますが。
明日僕たちにとって、とっても大事なイベントがありますので、
今日はこれくらいで終わりにさせていただこうと思います。
そうゆう訳で、
更新が2、3日滞る可能性大ですので
どうかみなさん
よろしくご理解のほどお願いします。


11月27日
白い巨塔

フジテレビのドラマ「白い巨塔」を
先週初めて見た。
おもしろかった。
だから今週も見ている。
派閥争い、権力闘争が描かれている。
汚い人間模様といえば
それもそうだが
ヒューマンドラマといえば
それもそう。
人間を真摯に描いている気がする。


11月26日
今日もオチはない

落ち込みやすい人と、落ち込みにくい人がいる。
傷つきやすい人と、傷つきにくい人がいる。
同じ困難に遭ってもこの二人は違う捉え方をして、
違う感情を抱き、違う意識を持ち、
違う行動を選択するだろう。
てことは、ものの捉え方、
受けとめ方が大きく
ぼくたちに影響するということだろう。
なんて当たり前のことを書いているんだ
と言われてもいい。
ものごとの認知の側面を変えることが大事なのだ。

自分自身が行動や性格の変化に影響を与える。
価値観が変われば行動は必ず変化する
ものの見方が変わったとき行動は必ず変化する。


11月24日
美容院

今日、髪を切った
美容院で切った
初めて行く店で切った
その店に決めるのに迷った
どんなお客さんが入っているのだろうか
どんな人が美容師さんだろうか
いろいろ見た
いろいろ心配した

結局僕を担当してくれた美容師さんは
いい人で、腕もよくてラッキーだった
だから、うまく切ってくれて
ご機嫌である。

美容院といえば
自分の思う通りにならなくて
もう少しこうして欲しいのになぁ
と思いながら
そのことが言えずじまいで
家に帰って、イライラするなんてこと
ありませんか?
言いたいことが言えたらラクだろうなぁと
思います。


11月23日
激しく燃え上がるもの

以前どこかで読んだ本に
こんなことが書いてあった。

「おそらく今の青年たちの心を占める
主題のひとつは
激しく燃え上がるもののないことであろう」

みたいなこと。
これにはそうだよなぁというところがある。
激しく燃え上がるものを
持つ人ってそんなに多くはないと思う。
青い炎で完全燃焼というのはかなりむずかしい。
もちろん、そうゆう人がいることは承知しているし、
そうゆう瞬間があったりするかもしれない。
不完全燃焼だっていい。
たき火だっていい。
ライターだって
100円ライターだって
チルチルミチルのライターだって
マッチだって。

なかなか燃えるものなんてないよなぁ。
でも、まあ、それでもいいじゃないか。
まぁ、ぼちぼちやっていこうじゃないか

そんなふうに思う。

今日言いたかったことは、
激しく燃え上がるものがなくって悩んでいる人がいたら、
別に君だけじゃないよ、
けっこうたくさんの人が同じ悩み抱えてると思うよ
ということが言いたかったんです。

11月22日
けっこうトリビアの泉会?

今日の鍋は、もつ鍋だった。
もつ鍋だけど、もつ以外に
鶏肉も入っていた。
きゃべつやニラや、豆腐やら。

今日いろんな話しをした。

夢とか、やりたいことがわからない
という悩み。
これについて
それぞれがそれぞれの意見や
考え、気持ちを伝え合った。
百人いれば百通りの考え方が
あるものだなぁと思う。

仕事選びって案外と
なんとなく・・・
気がついたら偶然・・・
みたいなケースって多いということを
言う人も多かった。
かく言う私自身も
その口である。

いつも書いていることだけれど、
人が人と出会うと
一人で考える限界を超えることが
できると感じる。
「へぇー、そういう考え方もあるのか!」
とか
「へぇー、こんな人生生きてる人がいるんだ」
とか
「へぇー、そんなふうに悩みを克服したんだ、しかも
この人は今目の前にいるリアルな世界の住人なんだから
少し今までのヴァーチャルな世界の相手よりは
少しは信用できるかも」
とか、
トリビアの泉状態が
かなりある。

そこがいいのではないかと思う。

おやすみなさい。
今日参加してくださったみなさん、
楽しかったです。
また、経験や体験やなにやらを
おすそわけしましょう。

それと、今日参加を考えていたけれど
さまざまな理由で
参加できなかった方へ、
僕たちの場所は、いつでも参加歓迎ですので
来られる時があれば
いつでも気軽にご連絡ください!待ってます。
年齢の区別なくざっくばらんに
話しをしますので。

11月21日
小さな贅沢

以前、友人の家に遊びに行った。
彼は神奈川に独り暮らし
彼の家には、カシミヤとBOXに書かれた
高級保湿ティッシュが
自然な感じで置かれていた。
正直僕は驚いた
度肝を抜かれた
うらやましかった
かっこいいーって思った。
俺もこうゆう生活してぇとも思った。
そのティシュー(ティッシュと言う響きではなくティシューという発音がよく似合う)を
鼻にあてがって腰がくだけた。
なんて、肌さわりがいいんだ!
ずっと鼻にあてていたいくらい
彼曰く花粉症対策らしい。
ってことは、
花粉症でもなんでもないこのおいらが
このてぃしゅーを使えば
相当程度にリッチなのではないかと
かなり豪華でセレブなのではないかと

翌週、家の近くのスーパーに行ったとき
ボックスティッシュ売り場で
僕はおもむろに
カシミヤティッシュを
手にした。
そして、勇気をふりしぼって
レジに臨んだ。
無事、買うことは許された。
そして、帰ってすぐに
鼻をかんだ。
鼻水なんて出やしなかったが、
そんなことは関係なかった。
新しい生活はすでに始まっていたのだ。

このように
僕の場合、小さな贅沢でこころに潤いを与えるのである。
毎日使うものだから
トイレットペーパーもね・・・。

おわり


11月19日
日本映画

北野武の映画「座頭一」
いま、観たい映画です。
北野武演じる主人公の頭が
金髪というのも刺激的。
どんなタッチで描かれているのか
観てみたいです。

ぼくは、北野映画の中で一番すきなのは
「菊次郎の夏」です。
あの少年の寂しそうな感じ、
そして、
武演じるおじさんの
寂しそうな感じ
が大好きです。
自分を重ね合わせちゃったりして。
ぼくはこの映画をニュージーランドの
映画館で見た。
そのころ働いていた青少年の施設にいた
女の子と観に行った。
(これはデートではなくて仕事で行ったんです)
丁度そのころ向こうで
ジャパンナイトみたいな感じで
日本映画を特集していた。
ちなみに次の週には
宮崎駿の「魔女の宅急便」が上映された。
これも生徒たちと観に行った。
おもしろかった。

宮崎アニメのなかでのナンバーワンは
『天空の城ラピュタ』です。
これは、ぼくの友人にアンケートをとると
必ず上位に食い込みます。

11月18日
バクシーシ

先日、インドのカースト制度のことを
少し書いた。
カースト制度のなかにバクシーシという
階級がある。
これは物乞いである。
物乞いが職業ということになっているらしい。
バクシーシ階級の人々は、
物乞いしかすることを許されていない。
これはどういうことなんだろう。
現代日本に生きるぼくにとって
これは「そんなことってあるの?」状態である。
職業選択の自由はまったくないわけである。

生れ落ちたときから、
職業が決められているという世界。
それしか許されない世界。
そんな世界を覗いてみたいと思う。


11月17日
新宿の安田ビル前

今日は、新宿の都庁の近くの
安田ビルに行った。
夜の安田ビルの前には
たくさんのダンサーたちが
踊りの練習をしている。
高層ビルの谷間なので風がすごい。
その寒さに負けず
みんな楽しそうに
元気に踊りの練習をする。

ヒップホップあり、
ジャズあり、
ブレイキンあり、
異種格闘技という感じ
入り乱れていた。
夜の新宿に行ったなら
歌舞伎町もいいけれど、
ちょっと方向を変えて
安田ビルに立ち寄ってみてはいかが

11月16日
洗脳

ひょっとしたら前にも書いたかもしれないんだけど
爆笑問題の太田光と映画監督の山田太一の対談の
なかから
太田光が
「よくテレビのドラマなんかで、高校生活を
すごく明るく楽しいものとして描いているじゃないですか。
あれに洗脳されると、楽しくない自分がやっぱり
変なんだって感じちゃいますよね。」
と。
こうゆうことって、気をつけないとほんとあると思う。
いや気をつけてたって
何したってある。
あるといいながあるの反対で、
ないといいながあるのが現実世界なのである。

高すぎる理想を描くのは
精神衛生上あまりよろしくないと
思います。

俺には、私には関係ない話しだわと
思っている方も
念のためお気をつけあれ。

11月15日
提案あれこれ

今日の鍋は、キムチ鍋でした。
白菜、しいたけ、にんじん
季節のおやさいたくさんいれました。
おうどん、ごはんでおじやで
しめました。
お腹がいっぱいです。

高尾山登山とか、ハイキングに行きませんか?
いや、ピクニックくらいが楽でいいよ!
いや、食べ放題ツアーしませんか?
とか、
断食ツアーしない?
とか、
さまざまな提案があった。
愛知県にヨットに乗りに行くとかは?
そのうち何かやりたいなと。

今日は、お酒が入っているので
おしまい。

11月14日
無題

昨日は懐かしい人と会った。
昔話をした。
懐かしかった。
いろいろ考えた。

寒さが本格的になってきている。
冬の身支度をしなければという感じ。
みなさん、風邪にはお気をつけあれ。


11月13日
メモる

今日は、本日の「ほぼ日」の糸井重里の文章を
まんま載せます。
メモについてなので
つい載せますです。

メモというやつが嫌いでした。
ノートをとるやつのことを馬鹿にしていました。
「メモをしなきゃ忘れちゃうようなことは、
 どうせたいしたことじゃない」とうそぶいていました。
ま、それはそれで一理あるとも思いますけどね。
生意気な青年でありました、自分のことです。

しかし、突然に思いついたいい考えとかは、
たまにメモしていたりするもので。
メモした紙がそのまま紛失して、
忘れたのと同じことになっていたり、
そのメモの内容が、何年も先になってから、
とんでもなく役立ったりもしたものでした。
いろんなケースがあったということです。

しかーし、このごろ、つくづく思うのです。
「アイディア」というまでには至ってないような、
思いつきだとか気になることだとかを、
文字にして記しておくというのは、
やっぱり、たいへんにいいことである、と。
「こんなことを思った、ということを思い出す」ためにも、
そのメモ書きは、とてもいいきっかけになるんです。

「ほぼ日手帳」が、1日を1ページ分にして、
たっぷりと書くスペースをとっているのは、
「せっかく場所も空いてるから、なんでも書いてやれ」
という、自由な、やんちゃな、お手軽な、気分を
活かすためなのであります。
なんでもかんでも書いておいたほうがいいんです!
「私は普通の主婦で、書くことがないので、
1日1ページはもったいないです」
なんてご意見を知りながらも、断固として
「ほぼ日手帳」は1日1ページで行きます。
おでん屋でなにを食べたかを記しておくだけだって、
いずれ、そこからおもしろいことが起こるんですってば。



11月12日
個性

今日は、ペット太田が読みたいなと
思っている本を3冊ご紹介
『人生のつくり方』
『リクルートという奇跡』
「プライドー処世術』
すべて藤原和博著

はなまるカフェというTBSの番組
この番組は個性を持っている
他の局は芸能ニュース
自分だけは独自路線
こうゆう姿勢いいよなぁ

ちなみにこないだは
選挙番組ばかりでしたね
まぁ、僕はテレビをあのとき
全然見ていなかったから
よかったけど

横並び意識である

11月11日
信号と自分、そして、社会と自分。

朝、眠い。
でも着替える。
着替えるとどうにかこうにか目が覚めてくる。
くちの中に水を含み、口の中の寝ていたあいだに
出来上がった唾を吐き出すという行為も
僕にとってはとても効果的だ。
ある種の過去の清算、過去との決別とも感じる。
眠り君さよなら。
洋服に着替えるというのは、行動療法的である。
むかし、人は悲しいから泣く場合もあるが、
泣くから悲しいということだって
おおいにある、と言った人がどこかにいた。
眠い。もう少しあたたかい布団の中で眠っていたいという
気持ちを変えるのは
容易なことではない。
気分が変化してから起き出す、ふとんから這い出るという
順番にこだわっていると、なかなか起きられない。
ましてや、決められた時間、
決まった時間、
約束の時間に。
それよりも、どんなに眠っていいたいと思っても、
とりあえず、布団から出て、そして、
洗面所で口をゆすぎ、
ズボンを脱ぎ、別のズボンをはき、
シャツを脱ぎ、別のシャツを着ればいい。
脳はあとから目覚めてくる。
ほうっておけばいい。
それは自然とあとからやってくる。
別に先回りして心配することはない。
そんなことは脳のほうに任せておけばいい。
中途半端に心配風を吹かすのが一番よくない。

信号と自分、そして、社会と自分。

信号が青だった。
だから安心して横断歩道を渡っていた。
そしたら、車が走ってきた。
そして、車にひかれた。
こうゆうことはあり得る話しである。
僕は、信号を必ず守らなくとも、
左右をよく見て、横断歩道を渡ったほうがいいと思う。
これは、自分の目と鼻と耳とで生きること。
先に書いたように「青信号だから心配することなく
横断歩道を渡る」というのはこれからの時代には
いささか危険な気がするし、
無責任な感すらある。
何か失敗したり、事故に巻き込まれたときに
信号や、社会のせいにする姿勢。
それは生きかたにも通じると思う。
自分の目で左右から車などが来ないかどうかを
確かめる必要がある。
自己責任の法則である。
青信号や赤信号、ましてや黄信号に頼った
生き方というのは、
少々依存気味だと思う。
よのなかが言ったこれからの安定業種に
就職して、それが斜陽産業になったときに
社会や、情報誌に文句を言ってやけ酒を飲んでいる姿が
想像される。
まだ、酒を飲んでくだをまくくらいならいいが、
社会に反骨精神をもったりしたらどうかと思う。
あくまで社会の突きつけてくるものや、
ものさしや、情報誌は、
ぼくらが何かを選択するときの
参考にはしてもいいけれども、
それを鵜呑みにしてはいけないのである。
あとで社会のせいにしても
後の祭りである。
他者への依存、
社会への依存からの自立。

上記のことを体現してるなぁとなんとはなしに
思うのはアメリカである。
アメリカでは、信号が赤でも
車が来なければ渡っていいのである。
あくまでこれは僕が勝手に抱いているアメリカのイメージですが。
そう、アメリカは、自己決定のもとに行動を起こし、
その結果(交通事故に遭うなど)を
自己責任をとるという潔い、成熟した大人のイメージである。
日本は社会のルールに厳格に従ったり、
社会の側に期待が大きすぎる気がして仕方がない。
ちょっと脱線するが、権利の行使が多く、
義務の遂行が少ない気もする。

もうひとつ、
民間人からの学校の校長先生として注目されている
藤原和博という方を知っていますか?
元々リクルートの人でした。
ペット太田もたくさんのことを彼から学びました。
彼がこんな授業をしました。
中学校の授業(彼はよのなかを学ぶという意味で「よのなか科」と呼ぶ)
で、女装家の人をゲストに呼んで、
授業をやった。
マイノリティ(社会的少数派)の存在について。
そのなかで、
社会的少数派になったときに辛かった経験を
みんなで話し合っていた。
こうゆうことって大事だと思う。
多数派と少数派についてはすごく興味がある。

この授業に参加されたゲストの方は、
「人と違うことを強みに変えて生きていく生き方もあるんだぞ」という
ことを伝えていた。
ちなみに、藤原さんのHPは
http://www.yononaka.net/

あいかわらず支離滅裂だが、
お風呂が沸いたので
お風呂に入ります。
おしまい。


11月10日
日常と非日常との関係性について

今日はあいにくの雨でしたね〜。
この雨ってものが好きな人もいるんでしょう
僕は、昔ほど嫌いではないですけど
僕の知り合いHさんは、
雨がとても好きらしい
雨に打たれながら
歩くのが好きなのだそう
むかし雨に唄えばという
映画があった
あの映画のなかで主人公は
歌を歌いながら
雨のなかを陽気に歩いていたと思うけど
あれはなにがあったのだろう

日常と非日常ということについて
毎年、12月の28日頃から
お正月にかけて3時間特番とか、
6時間ぶっとおし芸能人新年爆笑ヒットパレード
なんていう番組がある。
特別番組の連続です。
特別ということは非日常なわけで
これも日常が懐かしくなってくる頃が訪れる
まぁ、1月3日、4日あたりが相場でしょうか。
いやいやこれは年齢との相関関係がある。
比例だ、いや、反比例だ。
さまざま意見はあるだろうが。
それは、また別の場所で議論してもらいたい。
とにもかくにも
たくさんの芸能人を豪華に揃えた番組というのも
最初はいい。
うれしい、喜んで見る。
でも、このよーな非日常状態が続くと
むかしの、普段の日常というやつが懐かしくなってくるから不思議。
これは、ハレと、ケの関係とも関係してるだろうか。
日常と非日常は
9:1くらいがちょうどいいのだろう。
いやもっと極端に9,8対0,2くらいだろうか。
それくらいが安定なのだろう。
それを、特殊な、そして、刺激の強いのを毎日に
してしまうと、おかしなことになる。
非日常を日常にしてしまうと
途端におかしなことになる気がする。
刺激が少ないくらいが毎日の暮らしには
ちょうどいいのかもしれない。

日常と非日常との間を行ったり来たりするのが
いいと思う。
なんでもそうだと思うのだけれども、
2つのものごとの間を行ったり来たりするということが
実は大事なのだろう。

今、一般的に世の中では
働く人は、週に5日くらい働いて、2日くらい休む。
しかし、どうだろう。
これを逆にして、週に2日働いて、5日休むという生活にしたら。
おそらく、人々は追い込まれるだろう。
人は、そこまで成熟していないし、
自己を律する(セルフコントロール)能力が
通常鍛えられていないのが実状だろう。
その点、フリーランスの人というのはこういうのに強いだろう。
ある種、自由な時間が過剰に与えられると
人は困ってしまうのだろう。
時間を持て余すだろう。
一日24時間をどうやって時間潰しをするかということに
頭を悩ますだろう。
頭を抱えるだろう。
おそらくいろいろ考え始め
悩む人が増えるだろう。
ある程度社会や他者、外側からの
時間的統制をされているということが
自分たちをある側面から見れば救っているのだと
意識してもいい時代が来ている気がするのは
私だけだろうか。
それとも、ひょっとしたら
このようなことを考えているのは
至極当たり前で、
私だけが今頃、気づいたということだろうか。
そのあたりのことを
そのうち鍋の会などで
話したいものである。
テーマはずばり「人にも真空嫌悪の法則があるじゃないか
物理学に限ったことではない
自分だけじゃなかったんだ
おーい、安心していいぞー」

もうひとつ簡単に
今日は「忙しいことはいいことだ」と
考えている人がいる。
このことを疑ってかかってみようということ。
ほんとうに忙しくしてるのっていいの?
あ、そうか忙しいのがいいって思ってない人だって
たくさんいるか。
でも、同時に忙しいのがいいって思っている人もたくさんいる。
これらの関係は、
おそらく隣りの芝生は青い的関係だろう。
今現在、忙しく働いている人は、忙しくないことをいいと感じるし、
今現在、忙しくもなんともない状況にいる人は、忙しいことをいいことだと
捉えるキライがあるということではないか。

今日は、カバンの中にあまり
プリントが入っていなかったので
困った。
なんで困ったかというと
メモをするのに
僕はいつも何かのプリントの裏紙に書くからです。
だから、最近の折込広告の両面印刷の傾向に困らされている
今日は、片面コピーのありがたみを知りました。
再認識しましたです。
メモができないではないか!!


11月9日
自分の感情に鈍感に

僕は
脱力系とか
力まないとか
のほほんとしているとか
言われる。
でもその一方で、
とても力んだり、
ビシビシ、テキパキしてないと
イライラしちゃう俺もいる。
そうゆう瞬間は俺という呼称を使うわけです。
これかなり無意識的にですけど。

ある意味、
世間一般で流布されているというか
世間で通用している価値体系に対して
警鐘を鳴らしたくなるんです
ほんとうにそんなふうに一辺倒になっちゃっていいんですかいと。
あまりにもよい子すぎやしないかと。
従順すぎやしないかと
社会の価値規範を自分の持つ価値観という名の
フィルターでろ過することなく
そのまま体内に流し込むというのは
いかがなものかと。
しかし、これってある程度練習しないと
できないのかもとも思う。

優先するものを
自分よりも他人、
自分がいいと思うことよりも
社会でいいと思われていること、
自分が食べたいものよりも
みんなが食べたいものを
そんなふうに
周りや世間に合わせる生活を
長年しているうちに
一体全体、もともとの
オリジナルは自分は
何を求めている、
何を欲求しているのか
そういった自分の感情に鈍感になってしまうことって
あると思う。

今日も、初め書き始めたことと
最後はまったく関係ないことになってしまった
まぁ、それでいいじゃないか。
自己肯定の精神である。

おっかさん
誰も認めてくれない俺ならば
せめて自分が認めてあげたって
いいじゃぁないか
昭和枯れススキ

なにを言ってるんだ




11月8日
今日のこと

今さっきみんなが帰った。
正直言って、愉しかった。
各自それぞれおのおのひとりひとりが
その人なりに楽しんでいたように見えた
お酒は各自のペースで飲んでいた
鍋は各自のペースで食べていた
ペット太田、鍋の会の途中まで
かなり我慢していたが、
最後の方では
我慢しきれずメモをとっていた
いろいろいい話しが聞けたのが
ほんまよかった。

ダンスレッスンは
歩いて1分半の公民館でおこなった
抽象的な表現だけど
おもしろかった

今日参加されたみなさん、
本当にありがとうございました。
今日は参加できないと
メールや留守電をいれてくださったみなさん
そのお気持ちありがとうございました。
出会いってすんげぇな、と
今日再び思いました

今日インスパイアされたし
僕以外にもインスパイアされたり、
刺激を受けた方が
いらっしゃるのではないかと思ったりして・・・。

少しお酒も身体をかけめぐっているので
今日はこのへんで終わりにします。



11月7日
あなたは、何が好きか

おととい読んだ本に
ちょっとステキなことばを見つけた。
目的とは、簡単に言えば、
「何が好きか」です。
だから好きなものにどんどんムダづかい
していくことが大事です。
と。
うーん、そうだ。
でも、ちょっと待てよ、その好きなものが
よくわからないという人はどうすれば?
とりあえず本や雑誌、テレビ、さまざまなメディアを通して
ビビビっとセンサーキャッチ。
そして、行動ができそうなら実際動いて
経験して、これっておいら好きかもってことを
手探りで探していく。
配水管のなかに詰まったなにかを
手をつっこんで探し、取り出すようなもの。
なんかこの表現きたならしいなぁ・・・。
あれこれの洋服を鏡の前で
試着してみて、自分が好きだったり
似合うものを選ぶ感じかな。

自分探しは、自分が何が好きかを
探す旅だったりもする。

それと、今日は、寺山修司の本を
読んでいるんだけど
その中から
ちょっと。
家出こそは、他人の発見のための放浪であり、
自由への道なのである。
寺山は、むかし『家出のすすめ』という本を
出したんだよね。
彼の本を読んで、たくさんの若者が
家出をして東京に出てきたらしい。


11月6日
勝ち負けだけじゃない価値もこの世の中にはある

これからの「生きる」ということ。
勝ち負けだけじゃない価値も
この世の中にはある。
僕にこのことを教えてくれたのは
糸井重里だった。

僕は前々から思っている。
人と話しをするときに
戦闘態勢の人がいる。
もちろん僕も
勝つか負けるかで話すときがある。
他人を説得するときとか。
でも、いつだってそうである必要はない。
集団で話すとき
他人の意見と自分の意見を闘わすのではなく
2つの意見から新しい考えを
クリエイトするということだってできるし。
ぼくはそちらの話し合いのほうが好きだ。
自分ひとりで考えていたら絶対に
こんな考えは浮かんでこなかったよなぁという
答えが導き出されることがある。
これは話し合いの効用である。
また、話し合いをすると、
そこで日頃疑問に思っていたことや
納得のいっていなかったこと
社会への意見など
さまざまなことに焦点が合わさる。
ちょうどレンズの焦点がピンボケからいきなり
ぴったり合った瞬間みたいな
ピカーッである。
電球100ワット状態。
あばれはっちゃく状態。
コロ助状態。
こうゆう時、ここで書きたいことが
大量、大漁である。

もうひとつ、
諸富祥彦先生の『孤独であるためのレッスン』から少し。
既に成熟社会を迎えた、否、
成熟した大人の社会になることが必須の課題となるこれからの
日本では、
速さ(効率)や多さ(量)といった水平的な尺度に
価値が置かれてきたこれまでと異なり、
深さという垂直次元の尺度に価値が置かれるようになってくる。

これは、僕が感じてきたことを
すんごくシャープな日本語で
あらわしてくださっていたので
引用させていただきました。


11月5日
童話『北風と太陽』

山田ズーニーのHPに確かにそうだよなぁ
と首をうなづかせることが書いてあったので
ご紹介します。

「世の中にダイエットは、何百、何千とある。
私が学生時代から、もう、二十年も、
女性誌は、恋愛→占い→ダイエットの特集を
ローテーションしても、まったくネタはつきない。
ダイエットって、たくさんで、複雑で、
この言葉だけで、迷子になりそうだ。」

ほんとにそうだよな
恋愛・占い・ダイエット
御三家だよなあ
考えてみたら僕らが関心を持つものって
案外狭い範囲の中にあるのかもしれないですね
みなさんにも全文を読んでもらいたいので
URLを載せておきますね。
http://www.1101.com/essay/index.html

上とは関係ない話をひとつ
童話『北風と太陽』の内容を僕は2,3年前まで
知っていたけれど、忘れていました。
それをとある講座のなかで聞いたとき
目から鱗が落ちました。
だから、ご存知ない人もいると
思って今日は
この童話について簡単に紹介しようと思う

この童話のなかで、「北風さん」と「太陽さん」は
旅人の着ているコートを、
どちらが先に脱がせられるかを勝負します。
「北風」は冷たい風を吹きつけることでコートを脱がそうとするのですが、
「旅人」は厳しい表情を浮かべて余計にコートを
着込んでしまいます。
一方、太陽は旅人を暖かさで包みました。
すると旅人は笑顔でコートを
脱いだのです。

ぼくたちが人と接するときに
思い出してみてもいいかもしれません。

11月4日
やる気

僕は昔、『やる気のわくわくワークブック』という本を
買ったことがあります。
「7日間で自分らしい生き方が見えてくる」
と表紙に書いてあります。
なぜ、この本を買ったのだろうか
自分自身にやる気が欲しかったのだろう
なんだかやる気が出なかったのでしょう
やる気の向うベクトルに大いに悩んでいたのだろう
ベクトルの方向が検討違いだとイヤだなあなんて思っていたのだろう

やる気がなくなっていた
なんとかやる気をとりもどしたいという願いを持って

では、私はどういう時に、やる気を感じるのかを
考えてみました。
自分がなにを本当にやりたいのかがはっきりしている時とか、
何か「わくわく」させるものがある時とかに、やる気を感じます。
そういう時は、いきいきしています。
気力を感じます。

この本の中で言ってることは
やる気は育つものだということ。
また、育てるものだということ。
育て方さえ分かっていれば
そして、育てる努力をすれば
必ず育つのです。

ここで余談ですが、
この本はワークブックなのでいろいろ
自分で書き込めるようになっているのですが、
僕がこの本の
「やる気ってどんなものだと思う?」という欄に
書いたことを書き写しますね。
「やる気とは、どんなものだと思いますか?」
やる気は好きか嫌いかでほとんど決まると思う。
好きなことには自然とやる気がみなぎる。
目標(大きなもの、小さなもの)を持つことで
やる気は大きく変わってくると思う

こんなふうに記入しています。
今の考え方と変わっていないですね。

Q2 どのような時にやる気が出ますか?
の質問には
誉められたとき。
けなされたとき。
目標が定まったとき。
小さな目標を達成したとき次のステップに進もうと
やる気が出る。

こんなふうに書いている。
読み返してみてけなされた時、というのが面白いなと思いました。
アメとムチのムチの方ですね。
人間、けなされて「なにくそー、負けてたまるか!
自分の行動で見返してやる」とがむしゃらになることがある。
ぼくの場合だと、大学時代の先生の侮辱の言葉が
これにあたる。
だから、前にも書いたがこの先生には
心から感謝している。
今の自分があるのはこの先生のおかげだからである。
先生は覚えてはいないだろうけど。

そして、上記のチェックをして気づいたことがあったら
自由に記入してみましょう。

目標や「好き」という気持ちが大切!
文字にすると勇気が湧く。
自分の本音、本心がドーッと洪水のように出てくる。

なにが言いたいのかよくわからない。

ちなみに、今日の参考文献は
『やる気のわくわくワークブック』近藤裕著、日本教文社 である。


11月2日
職業選択の自由

こんなふうに思ったことはないだろうか?
なにか明確な目的意識を持っている人って
かっこいいなと思う。
ていうよりすごいなと思う。
ていうより自分はそうはなれないな。
あなたはこんなふうに感じたことはないだろうか?

行き先や目的地がある人がうらやましい
行き先や目的地を見つけた人は、すごいと思う
とりあえずあそこに行こうみたいなのがあるかないかって
おおきいと思う。
こんなことになるなら、何か大きな存在から、また、誰か他人から
「君はこれをやって生きなさい」
「君の人生はこの道を歩みたまえ」
みたいにかっちりと指示してくれた方がいい
とさえ思えてくる。
日本のむかしの士農工商だとか
インドのカースト制度だとか
ああゆう自分の職業選択の自由がなかった
時代に生まれていたらどんなにか
ラクだったろうかと思ってしまう。
だって偶然という名の運命のいたずらに従い
社会制度に文句を言いながら(要するに社会の所為にして)
生きればいいのだから。
この場合、自分の努力不足や
終わりなき自分探しの旅に出なくて済むのだから。
もちろん、その一方では
もし、実際にそんな状況に立ったら
自分の職業が社会制度に決められてしまうなんて
耐えられない、と憤慨する自分は目に見えている気がする。
他人に決められた人生なんてまっぴらだと。
しかし、ある程度決めてもらうことだって必要なのかもしれない。
と同時にある程度は自分で決めることも必要だろう。

職業選択の自由あはは〜
というリクルートのテレビコマーシャルが昔あった
自由を勝ち取った瞬間から
不自由だった時代もよかったよなぁという気持ちを
少し抱いたりするもののような気がする
何をしてもいい、となると困る
ある程度枠があった方が助かる
カタログから選ぶときだって
無限の中から選ぶより
ある程度の数に絞られてるほうが親切ってものだったりする
20歳を過ぎて成人してしまうと
不自由さを失ってしまう
〜をしてはいけないという規則のなかで
生きるのってけっこう楽しかった

あいかわらず何を書いてるのか
わからない。
自分の頭に浮かんだことを書いていると
いつもこうなってしまう
だから、会話してる時でも
気をつけないとすぐこうなってしまう

おしまい

11月1日
他人という鏡

きょう、家の近所の歯医者に行った。
そこの歯医者は初めてだった。
以前住んでたとこで通ってたのは、
6ヶ月くらい前だ。
もう6ヶ月も経ってしまった。
歯医者に行かなきゃ行かなきゃと思いながら
気がつくと月日が流れている
よくあることだ
行くのがいやだからだろう
行くのが怖いからだろう
意識の外側に置いておくからだろう
まぁ、いまは痛いのチョットだけだから
まだいいよ
もう少し痛くなったら行こう
まだまだこれくらいの痛さは痛いのうちに入らない
だいじょぶだいじょぶ
甘いもの食べたとき
冷たいもの飲んだとき
しみるけど我慢我慢
男の子だから
そんなこんなで11月になってしまった

緊張した面持ちで予約なしで歯医者に
飛び込んだ
どうして予約なしでかっていうと
予約しようとするとなんだかまた先延ばししちゃいそうだったから
無理にでも身体をその場に持っていってしまったほうが
結果的に治療に辿り着ける気がした
事実そうしたから今日、
この報告を書けている。
ぼくは朝布団から出るのがいやなタイプ
無理してでもシャワー浴びたりすると
目が覚める
シャワーを浴び終えるころになると
布団から出たときの
あのなんともいえぬいやぁな感じがうそだったかのように
微塵もなくなっている
不思議である
これは
人間は悲しいから泣くのではなく
泣くから悲しいみたいなたぐいのものなのだろうか
起きてから着替えるというのもいいと思う
何を言ってるのかまとまりがなくなってきているが
まぁ、とにかく歯医者に行った。

まぁ、それなりに痛かった
治療というのは痛みを伴うことは私も知っているつもりだ
小泉さんも痛みを伴う構造改革だなんて言ってたから
おそらくこの世のなかのほとんどのものには
痛みが伴うのだろう
そう解釈しておいたら損はないか

そして、歯医者が終わったあと
西友に行ってトイレを借りた
そこに鏡があった
見た。
口の右端になにか白いものがついていた
だからそれを取り去った。
そうだ、このことを今日のことばに書こう。
そう、
だから、他人と接すると
他人という鏡を使って
自分が見える。
他人という鏡は便利である。

今日は、これでおしまいです。


10月31日
トレードマーク

今日は、爆笑問題と淀川長治の
対談の本を読んでいた。
チャップリンについて淀川さんが
こんなことを言っていたので
線を引きました
チャップリンは、コメディだけどペーソスなの。
悲劇が背中合わせにないと、
いいコメディはできない人だった。
でも、あんた(太田光)がチャップリンになりたい
思っても、あんた自身の個性があるからね。
あんたはあんた自身の映画を作りなさいよ。

たとえばキートンはね、
コンプレックスを、逆手にとったの。
バカにされて、ベソかくのを持ち味にした。
だから、彼は外へ出ていくにも、
ただ出ていくことはない。
必ず敷居につまずいたりするの。
その、ちょっとトンマな感じが、キートンの個性だった。

ロイドの個性は、あのメガネね。それまでの役者は、
メガネをかけたらいけなかった。
絶対のタブーだったのを無理にメガネかけたら、
イメージが都会風になっちゃった。
田舎っぽい芝居はできなくなった。
それが、結果的にロイドを
アメリカのモダンの塊みたいにしたのね。
チャップリンはペーソス、
キートンはコンプレックス、
ロイドはメガネ。
あんた方は個性になるような、
なにかトレードマーク持ってるの?

個性になるようなトレードマークかぁ・・・
そうゆうもの
ないなぁ、おいらには。
これから、何かそうゆうの持ちたいなぁ。
いまのところは
レインボーカラーの服ってとこかな?

チャップリンは、やっぱり映画のシェークスピアなのね。
というコトバに感銘を受けた。


10月30
ほかにもこういうことを
思っている人がいるんだ」と勇気づけられる

今日は、爆笑問題とジョン・アーヴィングの
対談の本を読んでいた。
今も読んでる最中なんだけど。
書いて伝えたいことが出てきちゃったもんだから
パソコンに向かいました。

ところでジョン・アーヴィング氏がどんな人なのかを
書いておきますね。
1942年生まれ。
現代アメリカを代表するベストセラー作家。
代表作『ガープの世界』
『ホテル・ニューハンプシャー』などで、
日本にも多くのファンを持つ。
映画『サイダーハウス・ルール』では原作のみならず、
脚本も担当。
「ジョン・アーヴィング・コレクション」も話題に。

太田光はこんなことを言っていた
あなたの小説の中に「もうちょっと自分が
ましな人間だったらいいのに。
もうちょっとましな人間になりたい」というような
台詞がよく出てきます。
これは僕がつねに思っていることなんですね。
だから、僕はドキッとするし、
胸にしみるんですよ。
この台詞で「ああ、ほかにもこういうことを
思っている人がいるんだ」と僕は勇気づけられるんです。
すごく救われるんです。

ほんと、そうなんだよな。
こんなことで悩むっていうのは、自分だけがおかしいんじゃないかな
いや、そうに違いない。
誰が「そんなことないよ」なんて
言ったって、そんなの気休めでしかないんだ。
なーんてね。
自分が元気で、活気に満ちあふれているっていうか
活力いっぱいで、ヴァイタルな状態だったら
そんなふうには思わないんだけど、
ぼく思うんだけど、
人間ってほんと一喜一憂するっていうか
気まぐれっていうか
ちょっとした出来事ひとつで
目が輝いたり、目がくぼんだり、死んだ魚みたいな目になったり
そうゆう風見鶏的気質・傾向があると思う。
だから、いい状態のときならなんてことないことが
落ち込み気味のときには
自分を責めることがある。
自責ってやつである。
でもそんなとき、
太田光が言ってるように
「ああ、ほかにもこういうことを思っている人がいるんだと
勇気づけられることってほんとあると思う。
僕自身そのような体験をしたから
だから言えるし
声を拡声器で大きくして
言いたいわけです。

人生ってそうゆう意味でも
出会いが大切
だれに出会うかってことが。
出会いがなにかのきっかけになる
だから、僕は出かけていく
今までも
そして
これからも
座ったままでは、人に出会えないから
もちろん、みなさんにフリースペース
Only One Crewに来てもらって
僕は出会いのかけらをもらいたいと思っている。
みんなに来てもらったら
色紙にひとこと書いてもらったりも
したいと思っている。
それこそが相互作用、
グループのダイナミズムだと思う。
また、あいもかわらず何を
書いているんだかわからなくなってきた。
こうゆう雑記が自由気ままにできるところが
ホームページのいいところだなとつくづく
思うわけです。

僕は、25歳になるころまで
なかなか人に相談をするってことに
抵抗がありました。
それがある出来事をきっかけに
相談するようになりました。
これについては
そのうち書いてもいいと
思えたら書くかもしれません。
もし、知りたかったら
ぼくに会ったときに直接質問してください。
ちと長い話しになるかもしれません。

それとみなさんはヒッチハイクはしたことありますか?
ペット太田は国内でも、海外でも
経験あります。
そのうちみんなでヒッチハイクをペアでするっていう
企画をやりたいと思ったんですけど、
興味ある方いらっしゃいますか?
もし、ご興味ある方いらしたら
連絡ください。
腰の重い私をお手伝いください
一緒に企画を進めましょう。
東京から京都の旅館目指して
○チームでスタート。
道中、それぞれビデオカメラやデジカメで
車が止まってくれないせつない状況を
ビデオで撮ったり、
乗せてくれた人をデジカメで撮ったり、
さまざまなことをする。
そして、京都で一泊して、大宴会をする。
みたいな
ペット太田(鈴木剛)の頭のなかでは
興奮エキスが・・・

今日はそんなとこでおしまい

10月29日
ある世界の価値観から大きくはずれること

今日、爆笑問題と立川談誌の
対談の本を読んだ。
談誌師匠がこんなことを言っている
「長屋から和服で寄席に通ってきて、
ちょいと時間があると吉原に行ってなんていう
噺家の美学に酔ってない方でした。
あの種の臭みに身体が染まっていくような気がして、
実にイヤでしたな。」

僕は、男の美学みたいなものに
嫌悪感を抱いているのかもしれない
一方でへんてこな男の美学?
人間としての美学みたいなものは
持っているのかもしれないとも思う。
酒、博打、女
みたいな
三拍子。
飲む、打つ、買う

ぼくにこのような考えというか意識を刷り込んだのは
村上春樹かもしれない
あの人が
今までの文豪のイメージからどんどん
遠ざかっていったという話しを書いていた。
文壇のイメージは、
というか文壇バーなんかは
タバコの煙たちこめるなか
よなよなウィスキーかなにかお酒を
飲みながら激論を交わすみたいな。
しかし、この村上春樹は、
フィットネスクラブに通い、運動(ジョギングや水泳?)を
して、家で夜は早々と寝床について、
朝早くに起きてジョギングってな生活をした。
この話しを読んで、
俺もこの人みたくな生活を心がけようと
おさな心に意識した。
26歳のころだったろうか・・・
そうゆうふうに既存のある世界の価値観から
大きくはずれることって
なんだかいいなぁと思う性質が
ぼくにはある。
かっこいいなぁって
だから、どこかひねくれ者なのかもしれない
出る杭になろうと必死になってるくせに
必死なそぶりは微塵も見せない
そんなクールガイ
アンド
ホットガイを目指す男。

今、ホットカーペットの上に座って書いているので
おしりが熱くてたまらない。
それを言い訳に今日はここでおしまい。

美学やら美意識というものは
大事にしたいなぁ
人生哲学はこう よりも
俺の人生における美学はこう ってほうが粋ってものよ!
でやんしょ、若旦那!

10月28日
漫画「エースをねらえ!」を持ち歩く男

元プロテニスプレーヤーの松岡修造が
ぴったしカンカンという番組に出ていた
いやぁ、やっぱりこの人、おもしろい
熱血、超ハイテンション、いろいろな形容がつく人
テニスの教え方もすごくうまい
それに全てのことに全力投球
あと面白かったのは
この人が試合に行くときにカバンの中に
持っていくもの
1、ラケット12本も!
2、バナナ
3、漫画「エースをねらえ!」全17巻
熱血テニス漫画をいつも
持ち歩き、読み返したりするそう

いやあ、おもしろかったです。


10月27日
プロは素人をそこそこの線にのせる?

今日は、夕食をつくった。
豚肉の生姜焼きとさつまいもの甘煮
けっこうおいしくできた。
料理の本に書いてある通りに
つくるとおいしくできるのだよなぁ
これって当たり前なのかもしれないけど
つい数年前初めて
レシピ通りにつくって
おいしい料理が出来たときには
感動したよなぁ
当たり前だけど当たり前なんかじゃなかった
プロの
指令どおり
セオリー通りに
なにかをすると
ズブの素人でもそこそこの線に
いけちゃうんだなって
これには案外勇気をもらった気がする
とまぁ、今日の夕食は成功。

それとお知らせ。
来週の土曜日からダンスレッスンを再開します。
再開っていっても今までやめてたわけじゃないけどね。
しばらく、開催してなかっただけ。
11月8日(土)午後4時からやります。
場所は東京の西のはずれです。
それとその後、夕方5時半から8時まで
鍋をつつく会をやります。
フリースペースOnly One Crewでやります!
参加費はそれぞれ千円です。
福沢諭吉は間違い、夏目漱石でした)
興味あるぞってひと、参加してみよっかなぁというひとは
メール送ってください。
メールには、あなたの
おなまえ(本名)
性別
住所
年齢
を送ってくださーい。
折り返し、メールしますので。
ちなみに、年内の予定・・・

11月8日(土)・15日(土)・22日(土)
12月13日(土)・20日(土)は
ダンスと鍋の会を開催予定です。
何か知りたいことあったら遠慮せずに問い合わせてね!
トップページのどこかからメールできますので。


10月26日
脱力系

今日は部屋の片付けをした。
テーブルの上に乗る雑誌、
床に散らかる読みかけの本、
きのう、おととい脱いだ洋服、
ひとつひとつ手にとって
所定の位置に戻していく
この所定の位置というのが決まっているものたちは
いいのだが、所定の位置がない場合がある
住所不定のものたち
彼らに住所を決めなきゃなと思う
でもなかなか決められない
彼らに対しては申し訳ないことをしていると思う
自分の家を早く決めて欲しいと
思っているものたちがたくさんいる。
部屋はきれいになった。

普通に生きているだけで百点満点
これはマギー士郎のコトバ
あの人のニュートラルな感じスキだなぁ
力を抜いた感じ
脱力系と呼ばせてもらいたい
こだわりがある人ってかっこいいなって思う
でも一方でこだわりのないことがこだわりってゆー
そうゆう人がいてもいいとも思う
世のなかのスピードについていかなくたっていい
熱く生きてる人たち
冷めて生きてる人
何かに熱くなれるのっていいなぁと思うけど
どうもそうなれない人もかならずいると思う
中学校でいえば部活に燃えることのない
帰宅部みたいなもの
それもありと思う

10月25日
映画「ノッティングヒルの恋人」

今日、ラジオを聴いていた
FMラジオだ
AMラジオも好きだけど
FMラジオもいいもんですね
心に残る映画特集というのをやっていた
そのなかで
「ノッティングヒルの恋人」が紹介されていた
あの映画、「こんなことありえないよなぁ」と
思うようなストーリー
見たことのある方はおわかりと
思いますが、
普通の本屋の店主と、一大スーパースター女優とが
恋に落ちる話。
ありえない、と思いながら
なんだか心がほくほくする映画です。
秋の夜長に見てみてもいい一本かも
しれませんよ。


10月24日
あったらいいな、と思うこと

自分が自分でいられる場所、
笑顔で満ちあふれている場所、
仲間がいる場所、
あったかい場所、
ワクワクする場所、
あっ、それいいね、やってみようよって言い合える場所、
そんな場所あったらいいな
あったらいいなと思っていたら
そういうものが
できたりするんだろうか。
俺には確かなことは言えないが。

10月23日
自分の感情を知るということ

今日は、和田秀樹さんからおことば拝借です。
EQ(感情的知能、Emotional Inteligence)という概念がある。
そのなかでは
第一に大切なことを
「自分の感情を知る」ということに置いている。
それから、自分の感情をコントロールする、
楽観的に物事を考える、
相手の感情を知る、
とステップアップしていくわけだが、
自分の感情を知らなければ何も始まらない。
そういう意味では、
自分がすごく落ち込んでいる時とか、
悩んでいたり、不安を強く
感じているようなとき、
つまり自分が本調子ではない時に、
「そういった心理的状況に自分はいる」
ということを知っておくだけで、
致命的な判断ミスを防ぐことができる。
冷静に自分の感情の状態を知っておくこと。



10月22日
不安はあって当たり前

ようろう たけし(養老)という人が言った
「先が見えないから不安っていうのはおかしい。
あなたはご自分の告別式がいつだか
知ってるの?」
不安はあって当たり前の例えに
こんなことを言っていた。
ということです

10月21日
「一歩前へ」

きのうまで風邪をひいていた
熱があった
のどがイガイガ痛かった
鼻から水分が出た
目がかゆかった
いろんな症状が僕を襲った
こうゆう時自分の身体感覚が変化する
普段なら気にならない部屋の散らかりが
気になったりする
ちょうどお酒に酔ったときといっしょかもしれない
薬を飲んでずーっと寝ていた
どうにか持ち直した
だから今日は更新します

クロネコヤマトの宅急便のCMフレーズに
「一歩前へ!」というのがある
あれ?これって以前にも書いたかなぁ
この言葉ぼく好きなんだよなぁ
集合したときなんかに
今いる位置よりも一歩前に出るというのは
いいことだと思う。
目立ちたくなかったりすると
みんなよりも一歩後ろに立ったりしがちだけれど
堂々と一歩前に出てもいいと思う
もちろん一歩前に出ないことを
選ぶ権利もあるけれど


10月19日
本当の自分探しって・・・

指示待ち人間ではなくて・・・

どういうことをするかを自分で決めること
って重要だと思う。
自分で何をするかを書くってのがいい
自分の「やりたいこと・要求・欲求」を
はっきりさせ、
自分で決めたことを自ら行なうこと(自律)が
「自立」につながることだと
思う。
だからそれを大事にしたい。
今の子どもたちに「何かやりたい?」
「何か欲しい?」と聞いても「別に・・・」としか
答えることができない(答えられない)という
「別に!人間」が
多くなっているらしい。
それは、○○すべきの「べき」だけがやたら多く、
「タイ」(要求)が大事にされてこなかったからではないだろうか。
そうした意味でも私は、「タイ」(要求)を大事にしていきたい。

もちろん、何でも「要求べったり」ではなく、
「タイ」を大事にするなかで、
本人自身が「べき」を主体的につかみとる視点を
もつことは当然である。
現実的には、自分でやりたいことをはっきりさせることは、簡単ではない。
むしろ、難しいといってもいいかもしれない。
しかしながら(だからこそ)、
自分で何をするかを決めるなかで
本当の「自分探し」をして欲しいと願っている。

そこで仲間や友達はその手助けに
なってくれるかもしれないと思う。


10月18日
人はどんなことが嬉しいんだろうか?

人は、他人から認められると嬉しい。
人は、やったことがカタチになると嬉しい
人は、自分なりの工夫を凝らせると嬉しい
人は、自分の意見が受け入れられると嬉しい
人は、生きている実感を感じられると嬉しい
人は、新しいことを知ることができたら嬉しい
人は、時間がたつのを忘れて没頭できると嬉しい

ということで人間軸を中心に置く
すると・・・
細かい管理をしない(人は、自由にやらせたほうが放っておいてもやる)
会社がルールを決めない(人は、自由裁量が大きいほどその結果に責任をもつ)
フィードバックに心を砕く(人は、仕事の成果を確認したがる)
加点主義を貫く(人は、減点主義だと新しいことをやろうとしない)
ゲームの要素を取り入れる(人は、どうせやるなら愉しくやりたい)
ワイワイガヤガヤやる(人は、おしゃべりすると活性化する)

こうゆう発想の会社っていいよなぁ。

この会社ってのがリクルートです。
リクルートでは愉しくしていることが罪ではない。
他の会社では、よくこんな言い方をする人がいる。
「仕事を何だと思っているんだ。仕事は苦しいもので、
それに耐えてやるから給料がもらえるんだ」
苦しみと引き換えに給料が払われると思っている人は結構いる。
ところが、リクルートでは愉しんでいないと心配される。

今日は松永真里さんの本からお借りした。

苦しくなければ仕事じゃない

愉しくなければ仕事じゃない
ずいぶんと対極にあるよなぁ
一時期のフジテレビのキャッチコピーを
思い起こさせるなぁ・・・


10月17日
自分で面白がることが大切

小川さんという携帯コンテンツの覇者の
インタビュー記事です。
タカラがヒットさせた犬の鳴き声翻訳機
「バウリンガル」をご存知ですか?
おもしろい発想ですよねー!
あれのヒットの勘どころは、
利用者の夢を実現することだそう。
犬の言葉が分かるというのは人間の夢です。
仮にバウリンガルが失敗していたとしても、
音響研究所との仕事は次々と
新しい試みにつながりました。
モナリザの声も復元したし、
異性にモテる音色や、
気持ちを高揚させる着メロの開発にも
挑戦しています。
自分で面白がることが
大切です。
スターバックスがコーヒー市場を
活性化させたように、
成熟市場でも切り口次第で
成長が望めます。
そのためにも、
組織の論理がはみ出している人や
異質なものを受け入れていきたい

こうゆう考え方スキだなぁ。
借り物万歳。
一点豪華主義ならぬ
借り物至上主義ってか


10月16日
「100円を捨ててきて感想を言いなさい」

ちょっと糸井重里の文章を借ります。
ほぼ日刊イトイ新聞のダーリンコラムの
最新のとこを読むと載ってます

かつて、ぼくは「広告」の講義で、
「100円を捨ててきて感想を言いなさい」という
課題を出していたけれど。
あれ、いまでも、すごい気味の悪さがあると思う。
だいたい、人って、お金を捨てた経験ってないからねー。

こうゆう課題って面白いよなぁ
普段絶対やらないこと
人に言われなかったらやらないこと
人と一緒でなかったら絶対やらないこと
いろいろある。
そうゆう意味では
ぼくもそうゆう他人のおかげで
貴重な体験をさせてもらったと思っている
ありがとう
少し話しがずれるが内心面倒くさいなぁと
思うことでも行ってやってみれば楽しかった
なんてことがある。
これなんかも腰の重い人にとっては大事なこと
フットワークの軽さもある
ぼくは昨年から
ある作家さんのエッセイの影響で
「やったことのないことは、やってみる」ことに
基本的に決めている。
すると活動の幅やら数やらが
増える。
何がいいかってやるかやらないか
受け入れるか断るかを
あれこれ悩まなくていいということ
もちろんやりたくないことはやりませんけどね。


10月15日
自分で面白くしていく姿勢はとても正しい

以前読んだ本のなかで
「へぇー」とトレビアの泉だったことをひとつ
以下引用
「いい話しをひとつしておこう。
先日、九州へ赴いた折に、峠の茶屋みたいなところに
立ち寄った。
場所がいいわけでも、店構えが変わってるわけでもないのに、
ものすごく混んでる。
不思議だなあと思ったら、
実は店員がメイクしているんだよ。
それも全員、「タヌキ」か「キツネ」。
調理場の人までメイク完璧。
そして胸には「コン吉」「ポン子」とか名前が書いてあって、
「桜定食ください」とかオーダーすると、「はい、分かりましたポンッ、桜定食だポンッ、
千六百円だポンッ」って答えるの。
大の大人が真面目な顔で。
あっちこっちで、
「ビールだポン」「お待たせしましたコン」と、
ポン語とコン語が飛び交ってる。
面白かったぁ〜。
大人気の秘密が分かった。

これってつまらない仕事を面白くしたいい例だよね。
「この店は人気が今ひとつ出ないから、
明日からはみんなで、
「キツネ」と「タヌキ」になろう」なんて、
会議したんだろう。
想像しただけで楽しくなった。
ぼくも八王子あたりでこういう商売をやろうかなと
思っちゃったよポン」

うーん、面白い発想だなぁ。
今日は、心があったかい。

10月13日
私には自分の考えを変える権利がある

アサーティブな生き方の基本
私たちの基本的な権利のなかに
「私には自分の考えを変える権利がある」
というものがある。
これは大事なことのように思った。
一度なにかを決めた後
特に人に話してしまったあとなんかに
気持ちが移り変わったら
なんだかそのことを
言い出せなくなったりしますよね。

まわりから期待されているからとか
ほかの人に喜んでもらえるからといった
理由ではなく、
ただ自分がそうしたいから下す選択のこと。
うーん、納得。
そうだよな、そうだよ、そうできたら
いいよな
まず、そううなづくことから
始めてもいいんじゃないかなぁ。
ゆっくりいこうよ
のんびりやろうよ。


10月10日
ネコにサカナの骨あげたら食べた

自分の価値観を他人に押しつけるのは
いかがなものか
そして相手の言い分を聞く前に
決めつけてものを言う人ってあなたの
まわりにもいませんか?
こんなこと書きながら
私も自分の胸にゆっくりと手を当ててみようと思います
私たちは基本的に自分の価値観を
持っています
それをひとにお勧めはできても
強要はできません。
でも、気づかないうちに強要していることって
あるかもしれません。
やもすれば自分もそのような言動をしているかも
しれませんので、要チェックです。

うちのフリースペースには
ネコたちがやってきます
ニャーオと声をかけてきます
たいていおなかをすかせて
やってきます。
こないだ魚の骨をあげたら
たいらげていきました
最近はネコもキャットフードばかりで
魚なんて食べなかったりしてと
思っていたらそんなことはなく
ちゃんと食べました
これにはなんだか安心させられました

10月7日
混乱と乱雑さから抜け出そう

ぼくが読んでいるほぼ日刊いとい新聞が
ラジオ番組を始めたそうで
一度聴いてみようと思っています
通販番組らしいです

混乱と乱雑さから抜け出そう
自分のまわりの生活が、いろんな緊急事態で
ゴチャゴチャしていませんか。
一難去ってまた一難というふうに、人災を
引き起こしていませんか。
自分の心が平安でないと、
混乱した環境を、
知らないうちにつくりあげてしまいます。
回復は、落ち着かない、
あわただしい状態の中では、
根をしっかりおろすことができません。
心を休めて平安な気持ちになり、
あわてないでゆっくりと
自分の心と自分のまわりを
整頓してみましょう。
『今日一日のアファメーション』:より
10月6日
気に入ったフレーズをコレクション

今日は、きのう読んでいた本『iモード以前』松永真里著の
なかから気になった部分をピックアップ。
最初は、松永真里さんの『なぜ仕事するの?』という本を
図書館で借りようと思って行ったのだが、
貸出し中になっていて、
仕方なくこちらを借りました。
前日にはインターネット上で検索したら
貸し出していないと書いてあったのに
朝30分のあいだに
だれかが借りていったのね〜
と思うと何だかあまずっぱい気分になります。
もちろん、少しはショックでしたけど。
でも、これも何かの縁ってことでこの本を
開いてみると
なかなか面白い。
どんなページの端っこを
ペット太田がちょこんと折り曲げたかというと
(図書館の方ごめんなさい、やさしく折ってるので
許してくださーい)

「私はリクルートから内定をもらったとき、
この半年間にわたって毎日書いてきた
ノートを読み返してみた。
それまでは日記も続いたことがない。
ところが今回は違った。
その日にあったことや感じたことを、ただ綴っていた
朝、新聞で見つけた記事や、本の中で気に入ったフレーズを
書き写す。
すると、自分がどういうことに興味を持ち、
反応しているのかが少しずつわかってくる。
小田実の『何でも見てやろう』を読んでからは、
記述に変化が出てきた。
本からの借り物のフレーズが咀嚼(そしゃく)され、
いつしか自分の言葉になっていく。
以上引用。

このような感覚はよくわかるなぁ。
ペット太田も、松永さんとは全然比べ物にはならないけれど
本の中で気に入ったフレーズは書き写すことがある。
するとそれが蓄積され、
自分の好きな言葉リストができていく。
人からの借り物で構成されているのは
若干寂しいが、
基本的にぼくたちの知識って
人からの借り物以外にはありえないんじゃないかって思ってる。
いろいろな知識を自分にとって
印象に残った部分を選び取って
それらを足していってるのだろう。
まったくのオリジナルというのはないような気がする。
組み合わせ方がオリジナルなのだろうし
そのろ過装置(フィルター)がオリジナルなのだろう

うえの文章とつながらないけど
ちょっと書きたいので書きます。
やらされている感覚で動くより
自ら選び取って主体的に選択して動いている
っていう意識を持てるかどうかって大事だと思う



10月5日
人生の表階段と裏階段

先日ぼくは仕事を変えた。
いやぁ、正直言って不安でいっぱいでした
仕事を変えるというのは何度やっても
神経をすり減らすものです
何度もやっているというと
人から「ひとつのことが長続きのしない人だ」と
言われたりもします。
そう言われたら、その指摘はあながち
間違えてはいないから
反論はしません。
でも、まぁ本人なりに
理屈があってのことですので

きのう相田みつをのポストカードをもらいました

「子供へ一首
どのような道を
どのように歩くとも
いのちいっぱいに
生きればいいぞ」

自分の道を歩けばいい
歩けばそこに道ができる
すでに舗装された大道路だけが
道じゃあない
人生はメインストリートだけじゃない
裏道だってある
以前読んだ本でこんなことが印象に残っている
永邸漢(漢字まちがってるかも)が言っていたんだけど

以下少し引用します

人生の表階段はおおぜい人が集まって
ひしめきあっていますから、
なかなかうまく昇っていけないけども、
やむを得ず裏階段にまわるとガラガラなんですね。
ぼくはそのままスッと裏階段をあがることができましたから。
人よりも早く最上階まであがれたんです。

糸井:いっけんハンディキャップに見えることが
逆にQさんに、みんなと違う方法を
探すかしこさみたいなものを
教えてくれたんでしょうね
『お金のことをちゃんと考えることから始めよう』というようなタイトルの本

そう、目的がビルに登ることならば
わざわざ混雑しているところを
通らなければいい
もちろん法律に触れないほうがいいとは思う
時間帯をずらしたっていい
時代をずらしたっていい
お昼休みが終わる5分前に混雑するなら
10分前に昇ればいい

今日は人生の表階段と裏階段
そして
表舞台と舞台裏
みたいな話しでした。
これってよく出てくる話しですので
言うのがやや気後れするのですが
世のなかの斜陽産業は時代によって
移り変わるってこと
むかしは重厚長大
鉄鋼業界なんかがすごく花形産業で
就職先の花形であった
しかし、数十年たった今は
まったく花形産業が移り変わっている
だから、今から数十年後には
また大きく転換していることだろう
でも、ここでぼくは何も将来の花形産業に就職した方が
いいとか、失敗しないための転ばぬ先の杖みたいな
ことを言おうというのではない
そうではなく
自分のその時点でやりたいことを
ただやればそれでいいんじゃないかなってこと
すごく失敗のない人生を求めがちなんだけど
そうでなく
人生は試行錯誤
トライアルアンドエラー
とにかくやってみなはれ
これは、サントリーの会長 とりいさんの
口癖だ
うまくいくかいかないかなんてあとのこと
まずはあんさん、やってみなはれ
それから考えても遅くないんとちゃいますか?

10月4日
ひとりツッコミ

きのうセルフプロデュースの本を読んだ
そのなかで気になったものをひとつ
厳しく冷静な「もう一人の自分」を持つ
ということ

おちさんが心がけているのは「俯瞰のカメラ」を意識する
ということです。
つまり、自分のなかに「もう一人の自分=俯瞰のカメラ」を
設置し、冷静な目で自分を監視させるのです。
わかりやすくたとえるなら、自分のなかに
「さまぁ〜ずの三村くん」をもって、
「自分ツッコミ」をさせるわけです。

さまざまな場面で使えると思うなぁ、これって。
みじか〜!

10月2日
間違っていても自分の意見を言う人

今日は一日家にいた。
ホームページをあれこれ見ていたら
気がついたら夜になっていた
いくつかメールを送った
いくつかメールが来ていた

ぼくは思う
人との話し合いのなかで
違うなぁと思っていても
波風を立てるのを避けたり
自分が批判されるのを避けて
何も言わず
黙ってその場をやり過ごすよりも
間違っていても
自分の意見を言う人っていいよなぁ
ってこと。

これは、こないだも書いた
自己主張をするかしないかのはなしと
関連があるなぁ
最近、妙にこの自己主張ってことに
つながるなぁ
引っ込み思案で損をしないで欲しいんだよなぁ

近々ダンスレッスンと
フリースペースお茶飲み会を
やりますよ。
ちょっとお待ちを。


10月1日
サービスの均質化 善し悪し

今日100円ショップに行った
そこのレジで思った
といっても今日初めて思ったわけではなく
何度も思っていることなんだが
レジでの接客である
これから書くことは少々物議をかもすかもしれないけれど
思ったことなので
書かせてもらう

小学生の子どもに
マニュアル通りに丁寧語だけを
使ってお客様と従業員
神様としもべみたいな関係をやるというのは
いかがなものかと
少しは情緒的交流といおうか
くだけた、というか、そういったことがあってもいいんじゃないかと。
例えば、小学校3年生の息子を持つお母さんが
接客をしていて
小学校3年生くらいの男の子がチョコレートを買うときに
「はい、どうぞ。ありがとねー。ぼく甘いもの好きなの?」
「うん」
「そう、甘いもの食べたあとはちゃんと歯を磨くのよ」
これはちょっとやりすぎかもしれないけど
そうゆうことである。
どんどんサービスが均質化していくことに
ぼくは警鐘を鳴らす。
子どもが大人扱いされる社会
ステレオタイプな人と人との交流が行なわれている
これでは相互交流とは呼べないのではないか。
情緒を交流しているだろうか?

ぼくはどこか懐古趣味なのかもしれない
昔なつかしい日本の風景を懐かしんでいるのかもしれない
あの頃は駄菓子屋のおばちゃんとの
交流があった。
おばちゃんがぼくらを子ども扱いしてくれたおかげで
ぼくたちは安心して子どもでいることができた
子どもとしての態度やポジションをとることができた
しかし、いま
子ども扱いされず、大人扱いされることで
なにかが失われているのではないか
どこか寂しさがあるのではないか
一人前でもないのに
一人前として扱われてかわいそうではないのだろうか

おっとっと、
また話しが転がっていった
そうそうこの「話が違うところに転がる」という
言い方おととい永六輔さんがラジオで使っていた
フレーズのなかで気に入ったので使わせてもらいました。
しかし永六輔さんのしゃべりはすごいなあ。
ラッキー池田と永さんのかけあいは
すごく笑える
TBSラジオ土曜朝から「永六輔の土曜ワイドラジオ954」は
面白い
とはいってもいつも聴いているわけでなく
時々車の中で聴くくらいですけど

そうそう、先月百貨店でドリアなんかを
よそうためのお皿を購入したんですけど
その時の女性の店員さんの対応は
すんごく気持ちよかったです。
「このお皿いいですよねー。
これからの季節、グラタンとか
おいしいですよねー。
何つくられるんですか?」
くわしくは覚えていないけれど
だいたいこういった内容の話しでした。
ぼくはこうゆう会話のほうが
大切だと思います。
丁寧に両手を胸の前あたりに
揃えて、皇太子さんか何かに
丁寧に会釈するかのように
「ありがとうございました」と言うよりも。
まあ、もしかしたらこちらの方が
ラクだったり簡単だったりするんだろうけど。
世間話は個性がとても大きく絡んでくるものだからね。

まぁ、今日はなにはともあれそんなことが
書きたかったわけでした。
なにか
「俺はこう思う、こんな従業員がいて
腹が立った、気分がよかった
私はこうゆうことに気をつけて接客している」
などなどメールもらえませんか?
それらをどこかで紹介させてもらいたいと思いますので。



9月28日
「あなたならできる」という言葉

先週ぼくの知りあいがタバコを
ふかして吸っていた
ふかして吸っているのを
どうこう言うつもりはない
全然問題ない

その時思った
もったいないなあって。
でもことタバコに関してはそうは言えないかも
しれないとも思った
ぼくは昔、タバコを長年吸っていた
やめられなかった
自分は一生タバコとのおつきあいは
やめられないと信じていた
ある意味あきらめることで
自分を許していたし、納得させていた

ぼくは昔、同じ250円を払うなら
ニコチンがたくさん含まれているほうが
得だと思っていた
その考えでニコチンのたくさん含まれている
タバコを吸っていた時期があり、
その後、健康に気づかって
軽いニコチンの少ないタバコに変えた。
不思議なものである
人間の価値観ってやつは
何を重視するのか

それにしても自分がタバコをやめられるなんて
ほんと信じられなかった
あれはちょうど2年半くらい前
ぼくがニュージーランドの片田舎の
山奥の牧場で
アルプスの少女ハイジのペーターみたいな
生活をしていた頃のこと
そこの20歳くらいの娘さんに
タバコは健康に体によくないから
やめたほうがいいよと懇々と説かれた
僕「いやぁ、そんなことは百も承知です。
やめたいけど、そんな簡単にやめられるなら
とっくにやめてますって。
ぼくにはどうせタバコをやめるなんてことは
できっこないんですよ」
と言い放った。
その後、その娘は、
「そんなことはないと思うわ。
私はあなたを信じている
あなたならきっとタバコをやめられると
私は信じているわ」と真剣な顔つきで言われた。
それがきっかけだったのかどうかは
ほんとのところわからないが
それから1ヵ月後
ぼくはたばこをやめた。

だれかに「あなたならできると思う」と
言われるのってけっこう大事だと思った。
もちろん、みんなに、どんな状況でも
この言葉が大事と言ってるわけではない。
時にはこの言葉が重荷になって
つらくなってしまうかもしれないし、
自分の状況をよく知らないうちに
そんなふうに簡単に言われたくないということだって
あると思う。

今日そんなことを今のタバコの話しのなかで
思い出したので書きました。

自信は他信とつながっていると思う。


9月26日
アサーションとはどういうことか

2日ぶりの今日のことばです

今日はアサーショントレーニングの
アサーションとはどういうことかについてです。

あるアメリカの心理学者は、人間関係のもち方には、
大きく分けて3つのタイプがあると言っています。
「第一は、自分のことだけ考えて、他者を踏みにじるやり方、
第二は、自分よりも他者を常に優先し、自分のことを後回しにするやり方、
第三は、第一と第二のやり方の黄金律ともいうべきもので
自分のことをまず考えるが、他者をも配慮するやり方です。

アサーションとは、この三種類の対人関係のもち方の仲では、
第三のやり方をいいます。

第一のやり方のことを「攻撃的」または「アグレッシブ」
第二のやり方のことを「非主張的」または「ノン・アサーティブ」
第三のやり方を「アサーティブ」と呼びます。

あなたは、どれに当たると思います?


9月23日
アサーティブトレーニングしました

今日アサーティブトレーニングをした
いくつか新しい発見をしました
刺激になりました。
へぇ、そうゆう考え方もあるんだって思ったし
そうか、そうやって言えばいいんだってこともあった
ぼくにそうゆう気づきがあっただけでなく
他の参加者の方々も
それぞれに何か持ち帰ってくれたことを
願っています。
参加してくださった皆さん
本当にありがとうございました。
4時間という長い時間が
僕としてはあっという間に
過ぎた気がしました
また、やりたいと思っています。

人と人とがある程度本音を出し合っって
話し合うというのは
いいなと思いました。


9月22日
いろんな人にやさしい設計 あれこれ

Happy Birthday to me


ペット太田は今日思った
朝、資源ごみを回収して回る人を見ていて思った
車を一日に何度も何度も乗ったり降りたりする人に
トラックや車って全然やさしくないよなぁって
ほんの少しステップとか一段を
つくったら腰痛も減るだろうになぁと
ヤマト運輸や佐川急便のドライバーさんなども
もっと快適なものがあったらいいのじゃあないかなあと
あっ、でもヤマト運輸さんの車は
なんだかやさしさ設計だった気もする

そうそう車のクラクションなんかも道路を歩いている人にとっては
驚かされちゃって、寿命が3分くらい短くなってるような
全然やさしくなんかないよなぁってことも昔から思っていて
歩行者にちょっと警告くらいの
やさしい音ってのを
つくってもらえないのものかと
トヨ○さんなんかに誰かお願いして
もらえないかしらと
ずっと思っています
誰か車会社の方いらっしゃいましたら
お願いします


9月21日
今日も「考えよ、行動せよ、考えよ」について続編

おととい書いた名言
「考えよ、行動せよ、また考えよ」という言葉について
きのう10人弱で話し合った
とても盛り上がった
みんなで話していて
やっぱりこの言葉は
使えるよねって話しが何人かから
あがっていた。

その話し合いには
自分の意見を人前で表明することに
困難を感じている人もいた
その人たちから出てきた話

人前で自分の意見を言うのはしづらい
なぜなら
否定されるかもしれないし
笑われるかもしれないし
間違っているかもしれないし
自分が意見を言っていい立場なのかわからないし
などなどなど
たくさん出てきた

そう
これらの発言を聞いてペット太田は
たくさんのことを考えたし気がついた

思い出したものを挙げていこうと思う

自分の意見や考えを否定されるのが怖いという人は
自分の意見を否定されると
自分すべて、自分の善人格を否定されたかのように
感じてしまうということ。
これに関しては僕はそんなふうに考えないでほしいと
みんなに話した。
それは、あくまでその一意見を否定しているにすぎず
君自身、もっといえば君という人間を否定しているわけでは
けっしてないという事実。
この事実は紛れもなく大きなこと!
ここを間違えると
そりゃーおいらだって
人前でえらそうに何かを言えやしない
それこそ、この今日のことばだって
一行だって、書けなくなっちまう。
おいらは間違えてたっていい
発言すれば心ある人は
おいらの間違いを指摘してくれると
信じている
だから発言するし
発信する。
発言や発信をしなければ
その貴重な間違っていると思うというご指摘を
みすみす頂かないということになっちまう。
おいらはそれが誠に勿体無いと思う。
もったいないお化けが登場である。

間違っていても全く問題ない
とにかく何かを言う。
間違えも含めて話し合いなわけだし
間違っている話しを話題提供できたおいらは
その場に一役買ったとすら思うのである。
笑われることを恐れることはない。
といっても難しいかもしれないけれど
でもぼくは声高に言いたい
笑われることはいいことだ、と。

ディベートなんぞすると
意見を否定されることで傷つかなくなるような
気がするなぁ
そのへんのことはおいらそんなに詳しいわけじゃないから
興味のある方はディベートの本なぞ
めくってみてください。

話し変わって
今日、ひきこもりをテーマにした映画を
見てきた。
場所は、京王永山駅の近く
多摩映画フェスティバルの開催である。
「home」と「こぼれる月」である
総じて
おもしろかった、がしかし、見終わったときには
ぐったりときていた
監督のトークショーもあったりした
ペット太田は
いつもの癖で
質問をひとつした。
監督答えてくれてありがとう。
この場を借りてお礼。



9月19日
「考えよ、行動せよ、また考えよ」

建築家の安藤忠雄という人がいる
ぼくが彼を知ったのは数ヶ月前のテレビだった
情熱大陸という番組だった

この人がこんなことを言っている
「僕の発想することくらい、考えつく人は
いくらでもいるんですよ。
でも行動を伴うのは難しいことです。
難しいけれども、個性を持った個人をネットワークすることで
結構いろんなことができるもんですよ。
責任のある、個性を持った個人・・・
これが大事です」

そうですね
行動するってほんと難しいですよね
ぼくもいまだになかなか行動に移せないとこあるんですけど
意識して意識して
やっっとだんだんと
行動的になっていくものだろうなって
ぼくの以前働いていた会社の社長は
よく口癖でこんなことを言っていました
「ひとつ考えたら、ひとつ行動しろ」と
これ単純だけど案外効果あります。
単純だから効果あるのかもしれません。
行動する前にあーだこーだ考えているから
失敗が怖くなったりして
動けなくなっちゃう

「考えよ、行動せよ、また考えよ」


9月17日

常識にとらわれないことの大事さを思う

ぼくは本を読むとき頭から読みます
でも先日ショックというか
目から鱗というか
そうかあ、そうだったのかーとまで
思わされることがありました。
それは、『自分育ての進め』佐藤綾子著を読んでいたときのこと
「いつもの癖で一番うしろのページから何気なく読み進んだのだったが、
いつの間にかどうにも止まらなくなってしまった」
この一番うしろのページから読むという発想に
驚かされた。
おいらはなんて常識にとらわれていたんだろうかと。
本は前から読むものと思い込んでいた
そうでなきゃいけないような
でも実は後ろからでも
気になったところからでも
全部読まなくても気になったところだけ
読んでもいいんだって。
当たり前のことだってつっこみ入れられてしまう
こともあるかもしれないけど、
俺はとにかくうれしかった。

本を読むのが苦手だったりしたら
案外後ろから読んでみるってのはいいかも。
部屋を整理していて出てきた古新聞だとか
雑誌だとかを何気なく読んでいたら
気がついたら時間が過ぎていた
みたいな感じの
気軽な感じで
気負いなく
その本の世界にいざなわれていくかもしれないな
なんて思った。



9月15日
一歩を踏み出す勇気

昨日TBSラジオを車の中で聴いていた
面白そうな本が紹介されていたので
今読んでいる本の裏表紙にあわてて
ペンでメモをとった
運転しながらであるから
少々危険ではあったが
ペット太田はよくこのような状況になる
車を運転しながら
いろいろなことを思いついたり
思い出したり、あれこれと
考えを巡らせたり、
看板やお店を眺めながら
文句や賞賛や感嘆やらいろんな感情を抱き
心の中でひとり言を言っている。
町田の方によく行っていた時期があったのだが
通る道路にパチンコ屋があって
そこの入り口に人が立って
ずっとチェッカーフラッグを振っているのである
あれをずっとやるのってすんごい大変だろうなぁと
思うとそれを書く。
宣伝効果は抜群だろう
こうして僕は長い時間が経った今も
このようにあのパチンコ屋を覚えているのだから

それと車で道路を走っていてよく思うのは
交通誘導の人たちのことです
ロンドンの名物ポリスを一度や二度
テレビで見たことはあるんじゃないだろうか
面白いパフォーマンスで道行く人たちを
楽しませる警察官の姿は心を愉快にさせ
安全運転を促進するだろう
ぼくは、あのような発想で
日本の道路交通誘導を
もっとかっこよく、とか、面白くとか
見ていて美しいとか
何かしらの「へぇー」を持った従業員を専門に
教育する会社があってもいいと思う。
「エンターテイメント・ガードマン」とかという会社にして。
いつもこんなことを夢想しながら
車を運転しているペット太田でした。

おっと終わるとこでした。
本の紹介だけでもしておきましょう。
女性向けの本みたいです。
ペット太田は男性ですが、
女性の本でも関係なく読みます。
『地図が読めない女、話しが聞けない男』の診断によると
どちらかというと
僕の脳みそは女脳だそうです。
蛇足の話しでした。
『恋も仕事も引き寄せる99の法則』という本です。
日経BP社からで1200円くらいです。
内容は、女性が一歩を踏み出す勇気を
与え、後ろから背中をぽーんと
押してくれるような本らしいです。
やったことを後悔することは案外少ない。
やらなかったことを後悔することの方が多いのでは?
だからやってみませんか?
ウジウジ考えてるよりも
一歩を踏み出してみませんか?
って内容。
質問方式で書き込めるようになってるそうです。
なかなか面白そうでした。

今、大きな雨が降り出しました。
ほんの少しセンチメンタルな気分になります。
こんなこと書くとちょっと
気色悪いですね。
すんまそん。
ではまた。

9月14日
信用するチカラは心地いい

昨日おもしろい記事を読みました
グリコが画期的な試みを始めたという話題
オフィスグリコという名前で
グリコのお菓子をプラスチックケースに入れて
企業に置かせてもらう
そこには貯金箱みたいな穴があいていて
食べた人はそこに100円をチャリンと入れる
野菜の無人販売みたいなもので
信用商売な訳です
いままでのところほぼ確実にお金を入れてくれているそうです
かわいいカエルのキャラクターが
つぶらな瞳で見つめているそうで
良心の呵責がどうとかを狙っているわけです
小学生の見ている前でも急いでる時は
赤信号でも渡っちゃうことありますけどね
だから、そうゆう時も人間ありますよ

このやり方うまくいっているそうですよ
お菓子を店頭では買いにくかった男性サラリーマンの
購買が多いらしいです
それとなんといっても
ほっと一息ついた時
目の前に甘いお菓子なんかあったら
食べるつもりなくても
つい手が伸びてしまうものでしょうね。
甘いものに目のないペット太田は
よーくわかります
そんな僕は、
目の前から消し去る方法をとって
甘いものを食べないようにしています。
目の前にニンジンぶらさげられたら
耐えられないですからねほんと。

富山の薬売り商法はかなり
興味深いやり方だったんだなぁと
今日思いました。
オフィスグリコのHPはこちら
http://www.ezaki-glico.net/officeglico/

それと今度の日曜日9がつ21にちに
ひきこもりをテーマにした映画が
東京で上映されます。
「home」と「こぼれる月」です。
午後1時からで詳しいことはこちら。
多摩映画フェスティバル
http://www.tamaeiga.org/

ペット太田も見に行くつもりです。
会場でお会いしましょう。


9月12日
自分自身を冷静に見てみるのはいかが?

人と付き合っていると
自分の視野の狭さに気づかされることがある
自分が絶対こうだ!と思っていたことが
実は絶対ではないという事実に
愕然とすることも多い
それを人は「思い込み」と名づけた
客観的ではない
客観視していない
主観のみの世界の住人。
ぼくは主観と客観の世界の行ったり来たりが大事だと考えている一派です。
なぜこんなことを言うかっていうと・・・
今少し左上方向にあったふすまを眺めながら
少し視覚の焦点をずらして
考え事をした
記憶の倉庫の点検をした。
糸をたぐり寄せる作業である
僕は基本的にメモをとることが仕事なので
どこに書いたっけなぁと思い出し装置を働かせる
そうだ、これはメモしてなかった。
その小冊子だ!
と思い出して今机の上に載っているものが
「性格について(あなたの意外性を発見するために)」という小冊子である
そのなかの一部を引用しようと思う

あなたの判断のしかたは?
何か判断をくだそうとする時、その判断はその拠り所によって
2つに分類することができます。
つまり、
正しいか否かを客観的・分析的に吟味してみて結論を得る方法
これを思考的判断という

正否ではなく好き嫌いによって結論をくだす方法
これを感情的判断という
です。
前者の思考的判断は、
合理主義的アプローチとでもいうべきもので、
物事を論理的にすじみちだてて考える時に役立つものでしょう。
一方、後者の感情的判断は、人情的アプローチとでもいうべきもので、
能率ばかりを考えず人の気持ちを大切にして
物事を進める時に役立つでしょう。

感情型の特徴(主観的に判断する)
●同情的で涙もろい ●やさしく親切な
●人の気持ちや感情に敏感 ●人を喜ばせたり手伝ったりするのが好き
●調和を尊ぶ ●あたたかい ●人のいい
●合理的判断に欠ける ●優柔不断になりやすい
●厳しさに欠ける ●非分析的 ●個人的好みや願望により決断が影響される

思考型の特徴(論理的に判断する)
●理性的 ●冷静(冷淡ではない) ●厳しい ●人のことを気にしない 
●分析を好む ●物事を論理的にすすめることが好き ●公平を尊ぶ
●人間の感情に興味がなく無感動な
●人の気持ちや感情を傷つけることがある
●厳しく、時には他人をおこらせる 
●感受性の乏しい ●批判的

自分の性格は自分で気づいていない部分がたくさんあります。
そこでまず自分自身を冷静に知ることから始めてはいかがでしょうか?

まあ、遊びに上の●のなかのどれが自分にあてはまるかを
思い出してみませんか?
そこから何か気づくこともあるかもしれませんよ。
自分に思いをはせるのって素敵なことだとペット太田は思っているんです。

今日も暑かった。今も暑い。夜なのに暑い。扇風機のお世話になっている。
9月になって太陽が今頃張り切っているような気がする。


9月11日
落語的比喩表現っていいな!?

僕は今、『しゃべれどもしゃべれども』佐藤多佳子(新潮文庫)を
読んでいる。
そのなかで主人公がほのかな思いを寄せている女性と
エスニック料理屋に行ったときの台詞。

俺はエスニックが苦手だった。
どうも、香辛料が臭くて、やたらピリピリ辛いし、
第一見た目があまり粋じゃない。
まあ、ココナッツのカレーとやらは、
ヒマワリがお辞儀して逃げていくくらい真黄色で
鮮やかだが、味のほうは変に甘ったるくて、
強い匂いがして飲み込むのに一苦労した。

という一節がある。
僕は、この
「ヒマワリが〜鮮やか」というような比喩が大好きだ。
これをぼくは落語的言い回しと勝手に思っているのだが。
これは例えば、おすぎとピーコの口調ってのが
これに近い気がする。
ファッションチェックで
「ちょっと、なーにこの服は。
福神漬けみたいなブラウスに
らっきょうみたいなイヤリングをつけて
カレーライスみたいな女ね」
みたいな。
それと僕の敬愛する毒蝮三太夫も、
どんぐりみたいな顔しやがって、
栗きんとんみたいな顔しやがって
という表現をする。

ぼくも見習いたいなぁ、ほんと。

今日、HMSカウンセリングというところの
集まりに行ってきました。
京助さんをはじめ、
みなさん、すごくいい人たちでした。
いっぱいの勇気やパワーをいただいて
ほくほくしたあったかい気持ちで
さっき帰ってきました。

京助さん、ほんといろんないい話し
聞かせてもらってありがとうございました!
この場を借りてお礼を言わせてください。

リンクのページにリンク張っておきますので
よかったらそちらもどうぞ。


9月10日
自動車の輸送費コスト半減に感動したペット

ペット太田の職場の近くに中学校があります。
そこをいつも通ります。
中学生たちは校門からではなく
フェンスを越えて出てきます。
なぜわざわざ校門からではなく
フェンスを乗り越えるのでしょう
やってはいけないことをするのは楽しいのでしょう
ぼくたちはいつのまにか
やってはいけないことが減ってしまいました
20歳を過ぎると
たばこも、お酒も飲んでも誰も注意してくれません
中○生や高校○のとき
居酒屋に行ったりするのは
すごく緊張したものです
入り口で止められるのではないかと
身分証明書を見せろと言われるのではないかと
ペット太田は昔から童顔だったので
大変でした。
ああゆう時、僕が止められたりすると
一緒に行った友人たちも
足止めを喰らってしまうので
なおさら緊張しました。
緊張してどうにかなるものでもないのですが
ある一定以上の緊張状態になったら
年齢を大目に見てくれるんでしたら
よかったのですが
でも、案外そのスリルも楽しかったのかも

何が言いたいのかと言うと
フェンスを乗り越える彼らを見て、
うらやましくなったのです。
適度なスリルを伴う破る対象があって
ちょっとした悪さをしてガス抜きをしている

規則はぼくらのためにある
ぼくらは規則のためにあるのではない
一聞するとやけに青臭いことを書いているようにも聞こえるかもなぁ

「ものは言いよう」という言葉がある。
それの例えを考えた。
ぼくは、音読みよりも訓読みで行こうと思う
同じ言葉でも、
音読みで使うか
訓読みで使うかで
そのニュアンス、相手に与える印象、相手が話しに興味を示すかそうでなくなるかの差が
大きく分かれる気がする
ぼくは、訓読みで行こうと思う。
ものごとを難しく言うことは簡単だ。
しかし、単純化するのは難しい。
骨が折れる。
わかりやすく相手の理解しやすい土俵や
枠組みで例を出したり、比喩を用いたりすると
面白いほど人は理解を示してくれる気がする。
具体例の達人になろう。
これについてもズーニー山田は書いている。

そうそうこんなとこについでに
書いちゃうと
ペット太田は昨年あることを知った。
あることとは、
日本の大手自動車会社
日○と、トヨ○の物流会社が
業務提携をしたって話し。
この提携にはひとりの男の存在が大きかったのだが、
その提携ってのは、
詳しい場所は忘れたが、
例えばA社が東京で自動車がつくられ、大阪の販売店に運びたいとする。
B社は大阪で自動車をつくり、東京の販売店に運びたいとする。
今までだったら、両社ともそれぞれ大阪と東京に大型トラックで8台ずつ
運んでいたのだが、
その業務提携の立役者は
どうせ運ぶならということで
中間地点の名古屋でお互いの載せている車を交換しましょうってことを
思いついた。
これによって単純に言って、
運送コストは半分になったわけである。

ペット太田はこのニュースを見て、
目から鱗が落ちた。
「そうだ!これと同じことを社会の隅々に対して
施していこう」と。
まぁ、勝手にそう思ったわけである。
ただそれだけのこと。
今日は、クーラーがよく効いていて
背中がいま寒い。


9月9日
タイでの思い出

ペット太田は今日本屋に立ち寄りました
面白い本を見つけました
ご存知でしたらすいません
斉藤孝の本を2冊
『自己プロデュース力』
『質問力』
この人って『声に出して読みたい日本語』の人ですよね。
面白そうな本でした。
近々読もうと思います。

それとこないだOnly One Crewでは
生身の人間と接触する機会をつくりたいという話しを
した時に、自分の出会いの体験談を書いた
それとつながるようなものを今日も書こうかと思う

ぼくは20歳の時、
タイ、マレーシア、シンガポールを一人で旅をした
往復の航空券(行きはタイから入って、
帰りのチケットはシンガポールから成田)
だけをHISで購入して
向こうでの宿、ホテルなどは一切決めずに。
そうゆう無鉄砲、無計画な旅をしてみたかったわけである。
沢木耕太郎の「深夜特急」に憧れたりして。
そして、タイの空港に到着。
夜11時くらいであった
僕は、空港からバンコク市内までの
距離も道のりも何も知らなかった。
どうやら車で1時間以上かかるらしい
そうして僕は市内まで乗せていってくれる
人を探してあたりにいた人に声をかけていった
相手はタイ人だから片言の英語しか
通じない。
なかなかとりあってくれなかったり、
交渉が決裂したり。
そして、7人目に声をかけた青年(当時26歳)たちが
「いいよ、一緒に乗せていってあげるよ」
と言ってくれた。
天使の言葉が舞い降りた 降臨
そして、その人たちの車で市内に行った
私は車内で
「実は今日泊まる宿を決めていないんだよねー」
と少し困った顔で言った。
すると
「じゃあ、うちに泊まっていけばいい」と。
「おお、ありがとう」
そして、その晩は彼のマンションに泊めてもらった。
そして、翌朝マンションのクーラーの工事業者の
声で起こされた。
窓の外を眺めると
東南アジア的な子どもたちが
遊びまわっていた。
そうだった。俺は東南アジアに
旅に来たんだ と妙に実感した。
そして、その後、
結局
この人たちの家に1週間以上宿泊させてもらった。
その間、ムエタイ【タイのキックボクシング】や映画館、ディスコ、サウナなど
さまざまな場所に連れていってもらった。
ちなみに彼らはお金持ちだったらしく
その滞在中に高級リゾート地に
マンションを購入しようとしていた。
ちなみに日本に帰ってきてからも
彼と会ったことがある。
新宿で焼き肉をご馳走になった。
日本に帰ってからも
お世話になっているというところが
情けない・・・。
とにかくいい人たちであった。

だから何だと言われたら言い返す武器など
持ち合わせていない。


9月7日
2回目のネットラジオ収録をしました

今日夕方からラジオの収録を
Only One Crewのフリースペースの
居間で行ないました。
今回もまた自分の思っていることを
発言させてもらいました
よくもまあ自分勝手なことを言って
というお叱りのメールが来ることも
予測しています

そのお叱りの言葉に対して
またぼくたちは話し合いをしていくという
やり方をとろうと思っています

今回のネットラジオは40分間くらいの
長さになりました。
内容は、部屋にひとりでいるときの気持ちについて
どんななんだろうってことについて
3人で話しています。
かなりきわどい発言も飛び出すので
それに傷つく可能性のある人は
聞かないほうがいいかも?
ちなみに、ホームページへのアップは
いつされるかわかりません。
ちっとお待ちあれ。

昨日、涼子の出演するライブに行ってきました。
いやぁ、やっぱり生で演奏を聴き、
臨場感あふれるライブはええっすわ。
ほんと。
なんだか圧倒されたり、
かっけぇ、あの人たち、
みたいな気持ちになったことは確か。
今週土曜にある東京国際フォーラムである
ライブは行けたら行きたいなと思う。
谷川俊太郎とか、吉本隆明とかが
トークを繰り広げる。
司会は我らが糸井重里。
かってに我らがと言い切る私を許してくだされ。
ではまた!!!



8月31日
自己主張トレーニング

ペット太田は、Only One Crew のフリースペースで
10月頃から
グループワークを試みようと思っています
例えばどんなものをやろうと思っているかというと
自己主張トレーニングである。
「自分の気持ちや考えを、もっとうまく相手に伝えたい」と思っている方向けで、
自分にあった言葉を探し、日常生活の中でどう伝えるのかをトレーニングします。

どういう人が対象かっていうと
人の気持ちや状況を配慮して
主張できない行動パターンをもった人で
もう少し自分の言いたいことを伝えたいなっていう人。
また、すぐに人とケンカをしてしまうような
攻撃的な交流パターンをもった人です。
トレーニングのやり方は、
ロールプレイという役割演技を行ないます。

週に一度程度のペースで
一回1〜2時間のセッションでやる予定です。
このホームページ上で参加者を募集しないかも
しれないので
興味のある方はe-mailでお問い合わせください。


8月30日
なにかを観ると何かを感じる


今日、豊島区の旧千川小学校で行なわれていた
舞台を見に行ってきた。
それは、山下残というダンサーと8人の小学生が出演するものだ
NECとNPO団体「エイジアス(芸術家と子どもたち)」による共同企画だ。
なかなかおもしろい試みをしていた
刺激を受けた
インスパイアされた
どこか重なり合う部分があると思う
エイジアスのホームページはこちらです
http://members.tripod.co.jp/ASIAS/
なにかを観ると何かを感じるものだ

8月28日
最後まであきらめずにやりとげる

今日も西尾和美著『今日一日のアファメーション』からの引用です

何かをはじめたら、すぐにあきらめてしまわないようにしましょう。
やりとげるまで、じっくり腰をすえて落ちついて挑戦しましょう。
むずかしいことや問題に出会ったら、
すぐに投げてしまわないで、
ほかの方法をいろいろ考えてみたり、少し時間を
おいたり、専門家に相談したりしてみましょう。

すぐに飽きてしまったり、くたびれたり、
退屈になったりしても、もう一度
目的はなんだったのかと、原点にもどって考えてみてください

終わりまでやりとげることができると、
自分に自信がついてくるし、
成功したという感じがもてて自己評価が上がります。

もちろん、どんなに考えてもだめなときは、
ムリに押し通さないことです。
そんなときは、柔軟性が必要となります。

ほんと自己評価を上げるのって大事だと思います、ペット太田は。
ぼくもすぐに飽きてしまったり、あきらめてしまったりすることが
あるので、この言葉を大事にしようと今日も思うわけです。
みなさんもこの言葉いかがでっしょうか?
アディオス!

8月27日
人はあった会った人間の数だけ賢くなる

今日は川北義則著『40歳から伸びる人』からの引用でーす。

私は職業柄、いろいろな分野の人と会う機会がもてる。
そのことが自分のために「よかったな」と思っている。
「人は会った人の数だけ賢くなる」といった人がいるが、
若いうちはもちろんのこと、定年年齢になるまでは、
会える人にはできるだけ会って、
話しを聞かせてもらったほうがいい。

なかには迷惑な人や二度と会いたくないと思う人もいるだろうが、
自分のほうから「こういう人間とは絶対つきあわない」などといった
ポリシーはなるべくもたないほうが賢明だ。
なぜなら人間関係くらい予想外の展開をもたらすものはないからである。

実際に人とのつきあいは、どこでどういうことになるか
予測がつかないものである。
道端でハンカチを拾ってあげた女性と結婚することになるかも知れず、
初対面で大喧嘩をした男が生涯の友になったりする。

嫌な人間との出会いだって、こちら次第で何事か得るものはある。
自然の流れで会う機会が生まれたなら、
人とはできるだけつきあう姿勢が大切だと思う。
どんな人間に会っても、
それが無駄になることはないのだ。

最近は生身の人間との接触が希薄になってきている。
いうまでもなく、携帯電話とインターネットの普及がその原因である。
単にコミュニケーションということなら、
人は以前にもまして人と交流しているが、心の通いあうつきあいができているかというと、
これはどうも怪しい。

実際に人に会ってみれば、顔つきや服装、
態度、物腰から、言葉以外のさまざまな情報を読み取ることができる。
口でいっていることが本心でないことなどは、
会っていればすぐにわかる。
だが、そういうことがわかるためには、生身の人間と接触する機会を
たくさんもって修練を積まなければならない。
いまはその機会が少なすぎるのだ。
(そうそう、僕はOnly One Crewでそのような
生身の人間と接触する機会をつくりたい
思っています)


ここからは僕のはなし
実際ぼくは大学生のとき、
渋谷のモアイ像の前で終電が終わってしまった夜中
タクシー待ちの列に並んでいた
そのとき、一人で家まで乗ってかえるより
誰か一緒の方向の人と一緒に乗れば
安くなるよなあと思い
前や後ろに並んでいた人に声をかけていった
「すいません、あのぼくは○○に帰るんですけど
どちらまで帰られますか?」と。
聞かれたほうは若干びっくりしたかもしれないが
そんなことは関係なし、おかまいなし
すると、ぼくと同じ年くらいの男性が
「同じ神奈川の武蔵小杉です」と。
その頃の僕の家はその武蔵小杉から車で20分くらいのところだったので
「じゃあ、もしよろしかったら一緒に乗っていきません?
半額になりますんで」と誘うと
「いいですよ」と二つ返事で了承を得た。
そして、ぼくらのタクシーは武蔵小杉ではなく
ぼくの家に着いた。
そして、彼を僕の家のリビングにあげ、
コーヒーをともに飲んだ。
しばらく話してから
彼の家まで僕の車で送り届けた。
そして、今度は彼の家にあがり、また話しをした。
そして、お互い住所交換(このころは
まだ携帯電話などあろうはずもなく
家の電話番号、住所を交換した)をした。
そして、ぼくは2〜3年して年賀状を書いた。
彼から返事が来た。
すると、彼は地方の少年刑務所の保護観察少年に
関わる仕事に就職が決まったとの報告があった。
そのときは、「へぇー、そうなんだ」程度に思った。
そして、月日が流れた。
僕は25歳になったころさまざまな青少年と関わるようになった。
そのとき彼のことを思い出した。
「あっ、そういえば彼は青少年に関わる仕事をするとか
書いてあったっけなぁ」と。
そして、彼に再び手紙を送り、
お互いの近況を報告しあった。
人間関係は面白いものである。

ついでにもうひとつ、
ちなみにペット太田はこのような
変わった形での出会いはけっこうあるほうかもしれない。

僕は大学4年のとき
サークルの合宿が静岡県であった。
12月の末、寒い時期のことだった。
ぼくはその頃丁度日本人の親切心に疑問を抱いていた時期だった。
それでその疑問の真偽を確かめる何かをしようと企んだ。
そこで考えたのが
「THE ヒッチハイク」である。
ヒッチハイクをしてみんながやさしく乗せてくれたり
話しをしてくれたら日本に合格をあげよう」と。
そして、合宿には後から自分で行くとだけ
みんなに告げて
夜中の11時頃ひとり家を出発した。
最初はびゅんびゅん飛ばすくるまたちは
全然止まってはくれなかった
歩きながら親指を立ててみるが
暗い夜道のなか誰も止まってはくれない。
おいらは何度も
「ああ、こんな馬鹿な途方もないことをするんじゃなかった
もう帰ろうかな
帰って他の方法で行こうかな」と考えたりした。
とにかく寒かった
そして心細かった
不安だった
でも、あきらめず
交差点の信号で止まった
信号待ちをしてる車の助手席をノックしては
「すいません、静岡までヒッチハイクで行きたいんですけど
乗せてもらえませんでしょうか?」と声をかけ続けた。
すると大学生風の若者男性が厚木まで行くから
いいですよとのあたたかい答え。
サンキュージーザスクライストってな気持ちを抱き
さっそく乗り込んだ。
そして、一通り自己紹介の交換が終わったところで
ぼくはカバンの中からおせんべいを取り出し
彼に差し出した。
「これよかったらどうぞ」
「実はただで乗せてもらうのも悪いなと思って
おせんべいを持ってきたんです」
そうおせんべいを一袋家から持って行ったんです。
すると喜んで食べてくれました。
彼は牧場関係の大学生でした。
他にも、トラック運転手さん、画家の方、
仕事を終えて家に帰宅途中のタクシー運転手さんなどに
乗せてもらった。
そのなかでは画家の方の展覧会には翌年だったかその次の年だったかに
招待されて、見にうかがった。
おもしろい出会いである。
向こうの方も同じ思いをお持ちかもしれない。
結局、静岡に着いたのは朝7時
合計ヒッチハイク台数は8台
8時間の総タイムのうち
ひとり夜道をてくてく歩いてた時間が5時間くらい
あ〜やっと着いた!
僕が宿に到着したとき
サークルの部員のみんなが眠い目をこすりながら
起き始めていた。
ぼくのなかでなにかが確実に変わった。

なんだか話しが脱線した今日のことばでした。
また、読んでね



8月26日
祝!収録

今日、ネットラジオの第一回収録を行ないました
ほんの少しの台本を使い、あれこれ話しました

それと庭で花火をしました
やっぱ線香花火っていいよなぁ
線香花火の情緒に揺れることができるかどうかが
年配かどうかのバロメーターになると思う

佐藤賢一という作家が書いたエッセイを載せます
徹夜明けで手にしたゲーテで読書に開眼
軽薄な、いいかえれば現実感のない合コンばかりだった
私には、純粋に恋に苦しむ
ウェルテルの姿のほうがはるかに
リアルに感じられたのである。

人は人となんらかのコミュニケートを求めているのではないか
今日は、ここで終わります



8月24日

江国香織の『とるにたらないものの』という本が面白そう
たとえばこんなエッセイが詰まっている

「ケーキ」という言葉の喚起する甘くささやかな幸福のイメージ
人生における大切な決心をすべてここでしてきた「お風呂」という場所

日常生活にありふれたとるに足りないものについて
書いているもの
ぼくたちの日常をどう切り取るか
どこにレンズを合わせるか
ぼくたちが経験する内容って案外と似通ったものだけど
それを経験する主体によって
その経験する世界はいかようにも変幻自在である
同じ経験をしてもそれをろ過するフィルターやレンズによって
見え方は変わってくる
むしろその受容体、感性のほうが重要な気がする

たとえば笑福亭鶴瓶という人がいるけど
あの人が普段経験することってすごく面白い
こんな経験ふつうしないよななんて思ったりする
でもぼくらの日常を仮に鶴瓶が体験したら
あの人の語る世界が浮かび上がってくると思う
そこの装置のなかには(ブラックボックスと呼んでもいいかもしれない)
彼のコミットメントの仕方が
その場の持つ変容可能性を
大きくおもしろおかしい方向に導いているのだろう

うまく説明できないけど
そういうことです。
もう布団に入りたいので
尻切れトンボかもしれないけど
もう書くのをやめます

この話をもうすこししたい方は
リアルな世界で
ペット太田に話しかけてくださいな。


8月21日
自分の長所をほめてあげよう

自分の性格のいちばん良い部分をほめたたえましょう。
どんなところが、自分のいちばん誇りとする点ですか。
自分のあたたかさですか。心の美しさですか。いざというときの
力強さですか。忍耐力ですか。
はっきり自分を主張できることですか。やさしさですか。
人生を楽しめることですか。
人間関係を大切にできる点ですか。
リーダーシップがあることですか。

静かさですか。謙虚さですか。
ものごとを冷静に考えることができる点ですか。
想像力があることですか。
創造性に富んでいることですか。
新しいことを取り入れる力があることですか。
変化を恐れないことですか。
どんなことでもいいですから、自分のいちばん良いと思われる点の
お祝いをしましょう。

西尾和美著『心の傷を癒すカウンセリング366日』から引用しました。

8月18日
人の話しを聞くときのポイント

■相手が答えやすいように、具体的に質問をする
■相手をよく見て、身を乗り出して聞く
■うなずいて興味があることを示す
■話を続けるために何か話す
1)相手の話を一部繰り返す
2)話題について質問する
3)話題について、自分の考えや気持ちを伝えてみる

今日は前田ケイ先生監修の『こんなときにはどうするの?』から引用させていただきました
前田先生は、ルーテル神学大学の先生です。
生活技能訓練の先生です。

オンリーワンクルーでは、人と話すときの練習を
ロールプレイ(役割演技)などを通じて
していきたいと思っています。

8月16日

自分のよさを見つけよう その3

女らしい 苦労をいとわない ユーモアがある
 新しいことに興味をもつ
落ち着いている 辛抱強い 若々しい 
世話好きである 努力する 機転がきく たえず成長する
献身的である 感情的にならない 考え深い 新しいことに気づく
礼儀正しい きちんとしている 寛容である 
慎重である 人と話すのが好き タフである 同じところに留まっていない
人に好かれる 人に会うのが好き 信頼できる 


8月13日
オンリーレディー?


きのうテレビで広島県の警察官と、元暴走族が
サッカーの交流試合をやっているのを見た。
今年で2年目
暴走族チームは、週に1回の練習を積み重ね
今ではなかなかの腕に上達している
みんな団結をもって
ひとつの方向に力を注いでいた

そうだよなー

電車に乗っていた
おばちゃんが来たのに
ほんの少しも詰めない男
そのかたくなな姿に
既得権益を保守、死守する人を見た
なぜ、そうなんだろう
いつもぼくはもの悲しくなる

バスのなか
小学生の子どもを
座らせた母親
おばあさんが乗ってきた
それでもしばらく
その小学生は座ったまま

そのとき、わたしのペンの力が子どもを
立たせた

ヤクルトおばさん(今はレディーと呼ぶのか)を
市役所で見た。
もし、Only One Crewでクッキーやドーナッツを
作って販売するなら
ヤクルトおばさんみたいに
企業を回って売りまわるのも面白いかなあと
ユニフォームは清潔感いっぱいのものにして・・・と
少し眠くて自分がなにを書いてるのかよくわからずに
今日も無責任に筆を走らす太田であった



8月11日


自分のよさを見つけよう その2

次の言葉のなかで、あなたに当てはまると思う言葉を丸で囲んでください。
(プリントアウトして使うとラクかも。そして、持ち歩くのもいいかも)

誠実である 積極的である 話しが上手である 楽天的である
まじめである 向上心がある 多才である 独創的である
気立てがいい 精力的である 賢明である 温和である
人がいい 実際的である 人を笑わせる 愉快である
協力的である 危険を恐れない おもしろい がまん強い
素直である チャレンジする 楽しい 現実的である

今日は、ここまで

いまペット太田は風力発電とか、自転車コキコキ発電とかに
興味を持っている。ほんの少しですけどね。
自転車をこいでそれを電力にすると、1時間こいで
いくらぐらいになるんだろうか?
\10以上になったりするんだろうか?
30円とかにはならないだろうな
まさか。
風力発電では渋谷にあるゼファーという会社が小型風力発電機を
つくっている。
「モノづくりでもなんでも、短絡的な損得で考えてはダメ。
安ければいい、という考え方が日本の製造業に影を落としている。
真の意味で、消費者のためになるモノづくりをこれからも
心がけていきたい」とは伊藤社長はある新聞取材で答えていた。


                   8月10日
自分のよさを見つけよう その1

次の言葉のなかで、あなたに当てはまると思う言葉を丸で囲んでください。
(プリントアウトして使うとラクかも。そして、持ち歩くのもいいかも)

明るい のんきである 社交的である 敏感である
ほがらか のんびりしている 世慣れしている 魅力的である
きちょうめん どっしりしている ものわかりがよい 才気にあふれる
元気である あくせくしない がんばりや 想像力がある
あたたかい 適応力がある
 あてになる 自立心がある 
親切である 活動的である 気どらない 知的である 
愛情深い 大胆である 率直である 理性的である
思いやりがある 勇敢である 謙遜である 創造力に富む
心がやさしい 自分からやる つつしむ深い リーダーである

とまぁ、まずはここまで。
ここまでの中であなたにあてはまるものにまるをつけてみてください。
そこがあなたの良さです。
自分に語りかけましょう。
そして、そこをどうぞ伸ばしてあげてください。
あなた自身を誉めてあげてください。
他人が誉めてくれるとは限りませんし。
人は照れたり、誉めることをなぜだか遠慮したり。
かく言う私も、案外そうゆうとこあったりしますもの。

今度、その2を書きますね。



8月6日

【クリック】

夢から連想した題名「クリック」

人生はどんどんクリックしていけばいい。

要するにどんどん試してみたらいい、行動してみたらいい。

失敗を恐れずに。

だって仮に失敗しても、やり直せばいいのだから(re-try

「戻る」ボタンをクリックしたり、←ボタンを押せばいいんだから。

でも、できたら「戻る」や「←」ではやらず、

どんどん前に進んでほしい。

Homeへジャンプで新たに検索。

そうしておけば、あとで自分のたどってきた道を

履歴で見返すことができるから。

試行錯誤のくり返し、まちがった答えを消しゴムで消さずに、

赤ペンで修正していく。

そうしておくと、後で見返して、

「あぁ、自分は以前はここをこんな馬鹿な解答をしてたんだ!

今、見ると、笑っちゃうなぁ。

⇒ってことは、今の俺って昔よりずいぶんと成長したんだなぁ」

ってなことになる。

水彩絵の具でなく、

油絵絵の具を使っていけばいい。

水彩だとビビって、失敗を恐れて及び腰になっちゃう。

油絵なら、失敗もまた

重厚感やら、厚みやらになってくる。

人生(の行為や選択)に無駄なことはひとつもない。

11色が

まっ白なキャンバスに

『自分』という名の作品を

オンリーな存在に際立たせていく作業、

それが人生。




8月3日

ぼくは本は借りて、書き写す派

ぼくは、本を買わない。

本は借りて写す。

写経のようなものだ。

図書館から借りてる2週間だけ、仮のぼくのものになる。

返さなきゃいけない

だから必死で読み、必死で欲しいところを

写して自分のものにする

落合信彦の「英語の辞書を破って

食べた」のに通じている。

ぼくの中では。

でも、最近書き写してないなぁ。



8月2日

インターネットが「絵に描いた餅」を食べられるモノにする

ヴァーチャルがリアルを作り出すパラドックス系?事実

今までなら、ある着想をしても、実践、始動までの

道のりは遠かった。

テレビとか雑誌というメディアを使えば、大きな反応を

得ることができた。

発言、発信する場がなかった。

今はインターネットという発信する場がある。

ほんの小さな発想を自由に発信できる。

ハードルはずいぶんと低くなった。

でも、障害物競走でもある。



7月31日
本当の自分の喜びはどこから来るのか

今日は佐藤綾子さんの『すべてを変える勇気をもとう』から抜粋です

他人の目に自分がどう映るだろうか、
ということをあまりにも気にしていると、
本当に自分がしたいこと、
本当に嬉しいことが何かが分からなくなってしまう場合があります。

たとえばあなたがお母さんからいつも「いい子ね」と言われて
育ったとします。あなたはいい子であらねばならない、という
おまじないをいつも自分に課していかなければなりませんから、
たとえばおてんばな格好をして、
Gパンで自転車に飛び乗ったり、
オートバイを乗り回そうと思っても、
これはちょっと母親が期待するいい子という
イメージにはあっていないからと
思い、諦めてしまいます。

そんなことが重なる内に、
自分の喜びの仕組みさえも、人からの影響をかなり受けて、
感情をコントロールしてしまうという癖がついてしまうわけです。
他者が認知する自分の姿というのは、
往々にして理想化されたものが多いですから、
自分が本来望んでいる、多少不恰好だったり、ゴツゴツしていたり、
洗練されていない自分の望み、しかしそれは自分が本当に
やりたいことというところと少しズレてくる場合があります。

こんなあなたにお薦めしたい方法は、
ひとまず「周りがどう言うかなど一切気にしないぞ」と
自分に宣言することです。
そうして、周りの人がなんと言おうが、
私はいったい何をしていたら一番ハツラツとやっていられるのか、
たとえば一日の内で、
その作業であるならば何時間しても疲れない、
むしろ喜んでくり返しくり返しやることができる、
そのことを話す時には、
自分の顔は生き生きと輝いている、
そういうものがなんであるかを探すことです。
そうして、その自分を一番喜ばす作業を自分の
ライフワークの元とするわけです。



7月30日
自分のことにとらわれないこと

多湖 輝さんの『まず動く』という本から

自分のことにとらわれないことです。
そう簡単にできないかもしれませんが、
これも日々の訓練で解決されていきます。
たとえ財産が失われようとも、その失われることに心がとらわれない
たとえ肩書がなくなっても、なくなることに心がとわられない
地位や名誉があっても、それに心がとらわれない

もっと簡単に言うなら、そういうことにいちいち心を動かさないようにする
ことです。
人は生きていく限り、当然、いろんな変化が身の周りに起こってきます。
起こってあたりまえのものを、
「起こってはいけない」かのごとく、
自分を縛ってしまっては、これから先をどう生きるかの
前向きの姿勢にはなり得ません。
それには、何かにとらわれる自分を捨てるということです。
そうすれば、とらわれたり、こだわったりするものがなくなりますから、
心は安定します。
心配の不安、恐怖、これらの心は行動力をなくしてしまいます。
これがなければ、人は全力を尽くして事にあたれます。


7月23日
今日は、多湖 輝さんの『まず動く』という本からです。

スモールステップならその場に立ちつくすこともなくなるかも

心理学の中にプログラム学習というのがあります。
目標をあまり高いところに置くと、
とても無理だと最初からあきらめてしまう人がいます。
それではせっかくの挑戦意欲や変革の意欲がなくなってしまいます。
そこで誰でもが、ちょっとした努力で目標を達成できるスモールステップをもうけます。
そしてそこで目標の達成の喜びを感じてもらいます。
そしてまた次のステップに進んで目標を達成します。
それを繰り返すことで大きな目標、高い目標に到達することができます。
 どうせ自分はできないという状況から、
自分でもできる、という喜び、
満足感、充実感を味わいながら意識改革をすることができるようになっているわけです。

たとえば、デパートの包装作業の訓練。
最初はベテランの人の作業を見せます。
それを、さあやりなさい、といってしまってはとてもできるわけがありません。
自分には包装はうまくいかない、
できないということになってしまいます。
それをスモールステップをもうけ、
ここまでやりましょう、とやると、
みんな意欲をもって訓練し、早く覚えていきます。

高い目標を立てることは大切なことですが、
高すぎて力の出ないものではいけません。
大きくても高くても、いずれも小さな一歩の積み重ねなのです。

ぼくも上のことばを自分の心に言い聞かせながら
小さな一歩を踏み出す勇気を醸造していこうと
思いまーす。

7月16日
わが子の命は、他人の子の命よりも重い

今日テレビで
もう子どもを産むことは
できないのではないかと
思われていたお母さんが
子どもを授かり、出産するドキュメンタリーを見た
いやぁ、泣けました
分娩室に立ち合ったご主人 嬉しくて泣いていました

ぼくにはまだ子どもはいないんですけど
自分の子が出来たらどんな感情が沸き起こるんでしょう
自分と自分の愛する人の間に出来た子ですから
そりゃあ、かわいいなんてものじゃないでしょうね
他人の子なんて目じゃないでしょうね

そこで、今日のことばは、ちょっとご批判もあるかもしれませんが
「わが子の命は、他人の子の命よりも重い」です
そんな感じです

7月13日
違いがあるから人生は面白い

人生には、人間の数だけのさまざまなかたちがある。
10人の人間がいれば、まるっきり異なる
10通りの人生がある。
その10人が、全員同じ会社に勤める
同じ年齢のサラリーマンだとしても、
それぞれが背負う現実はその人だけのものだろう。
一人ひとり、ほかの誰でもない自分だけの
人生を歩いていく。
これはすばらしいことだと思わないか。
以上、弘兼 憲史 の著書から。

外はどしゃぶり
どうも雨の日はセンチメンタルになる

来週のダンスレッスンのお知らせメールを
少しずつ送っている
もっと早くに送ればいいのに・・・
今度はもっと早くに送ろうと思う


7月9日
幸せを感じる感性と能力

今日は、ぼくがいいな、この考え方って思ったことを紹介します
基本的にいつもこの姿勢で生きてますし
書いてますけどね
要するに「おいしいものを食べたときに
自分ひとりでそれを噛みしめないで
まわりの人にこれおいしいよ!
ってその感動を分かち合いたいタイプなんです
ぼくって
でもこの感性って実は糸井重里さんから
感染したものなんですよ
たしか
まあそれはさておき本題に入ります
まず輪郭を説明します
今日書き写す内容は
1年くらい前に「知恵蔵」だか「imidas」だかの分厚い本を
ぱらぱらと眺めてたときに
直感的にこれいいなと思い
その場ですかさずコピーした一枚です
それを4日前押入れを掃除してたときに出てきたものを
今日あなたにおすそわけしてるわけです
ちょっと味見してってよちょっと
おいしいわよ!

上田紀行(うえだのりゆき)東京工業大学大学院助教授
が書いてたものです

幸せを感じる感性と能力
自分が何を幸せだと感じるのか。
人生の最も重要な問いを、この社会は長い間封印してきた。
そこで教えられてきたのは、
「ひとが欲しがるものをあなたも欲しがりなさい」
「ひとから見て幸せだと思われる人生を歩みなさい」
という、自分を置き去りにした人生観だった。
なぜ有名大学に入りたいのか。
それはひとが入りたい大学だからだ。
他のひとも欲しがる車がいい車だ。
 
その理論が頂点を迎えたのがバブル時代だっただろう。
自分が欲しい土地を、家を買うのではない。
他人が欲しがるような家を買わなくてはならない。
なぜなら、それは資産形成のためであり、
後に他人に売却するためだからだ。
しかし、バブルが崩壊し、多くの人々が途方に暮れている。
それは、単に資産価値が減じ、
ローンにあえいでいるからではない。
もし本当に幸せだと思える家に住んでいれば、
ローンの重圧も我慢はできよう。
問題は、「自分が欲しくなかった」家に住みつつ、
ローンにあえぎ、しかしそれは「自己責任」
だと言われて救済もされないという、情けない状況こそあるのだ。

自己決定と自己責任への構造改革が進行する。
だからこそ、いまわれわれは自分が何が欲しいのか
何をもって自分の幸せとするかを、
他人の尺度ではなく、
自分自身の感性で発見していかなければならないのである。

以上が抜き書きです。
さすが、納得させる内容です。
乾杯です。

7月8日
24時間の命!

きのうテレビで見た
もしも 自分の命があと24時時間しかなかったら
どうしますか?
って質問をいろんな人に向かってしていた。
うーん、究極の質問
あなたならどうします?
ぼくはなにするだろ?
今晩考えながら眠りにつこうっと!

7月6日
自己肯定と自己否定の振り子

一人の中にさまざまな自己像が
共存する
自分は特別な存在であると自らを鼓舞し
妙に手放しに自分を好きになる至福のときみたいな時間を
しばし過ごしたかと思うと
急転直下
次の瞬間には
自分はこの世のなかでなんと無価値な存在だろうか
社会活動をせず社会の役に立っていないと
自分を責めることがある

自己肯定と自己否定のあいだを行ったり来たり
もういい加減疲れたわ
こんな性格・・・
こんなことってありませんか?
そう、もし自分だけなんじゃないかな
こんなふうに自分を好きになったり嫌いになったりするのは
って思ってたかた、あなただけではないですから
安心してください
だからってどう安心しろって言うんだよ
ってつぶやかれた方には謝らなきゃ
そうゆう方はその気持ちを手紙に託して
メールをくださいね
納得いくまで話しましょう。

どうしてこれを書こうと思ったかと言うと
村上龍の女子校生51人へのインタビュー本
『夢みるころを過ぎれば』の一部抜粋をしたメモを
さっき部屋を片づけていたら
見つけたからなんです。
一部引用しますね
「一人一人の中でもさまざまなキャラクターが未だ統合されずに
共存していた。母親を憎む自分、母親に対し罪悪感と愛情を
感じる自分、援助交際の中で自由と開放感を感じる自分と
自己嫌悪と後悔をする自分、受験勉強に疑問を感じる自分と
それ以外にはないとあきらめる自分、社会に大前提的な
敵意を持つ自分と、その中で生きていくしかないと
割り切っている自分、大好きな自分と大嫌いな自分、
それが一人の女子高生の中に共存していた。
女子高生の中に普遍性があったことが、わたしを謙虚にした。


7月4日
ぼくは「単なる他人」くらいにならなれるかもしれない

社会との接触がなかったり
少なかったりすれば
「自分はこの社会で必要とされている」という
実感が持てなくなって当然。
それが無力感、疲労感に
つながっている。
そして無気力にもなって当然のこと

「社会」ということばを「他人」に変えてもいいと思う
ぼくは「単なる他人」にだったら
ぎりぎりセーフでなれるかもしれないとは思う


7月2日
多くの現代人は幻聴が聞こえていると思う

ぼくはかばんの中に入れている携帯電話が
鳴ったような気がします
電話を待ってるときなんかは特に
鳴ったような気がします
ブルッと震えたような気がすることも何度もあります
そうです
気のもちようや
期待しているとそれがあたかも起こったような
気になる
気のせいってのが起こるんですよね
人の感覚っておもしろいなと思います


6月17日

いやー、おひさしぶりです
みなさん
しばらく出張したりしていて更新することが出来ませんでした
更新したいなしたいなと
思いながら毎日を過ごしていたので
精神衛生上良くなかったです

今日は、
「失敗したっていいじゃないか」
ということばです。
失敗を恐れることってありますよねぇ。
成功するにはその前提として失敗が不可欠です
そう考えていれば気持ちがラクですし
実際そうだと思います
それに対して日本の社会は一般的に
あまり失敗に対して寛容ではありません。
ぼくは トライアルアンドエラーを
何度でもやっていただきたい
試行錯誤する勇気
かく言う私もなかなか勇気がないタイプの人間
それゆえに自分にこの言葉を言い聞かせているのかも
しれません


6月9日

草原のどまんなかの一本道をあてもなく浪人が歩いている
ほとんどの奴が馬に乗っても
浪人はあるいて草原をつっきる
早く着くことなんか目的じゃないんだ
雲より遅くて十分さ
この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ
葉っぱに残る朝露
流れる雲
小鳥の小さなつぶやきを聞きのがしたくない
だから浪人は立ち止まる
そしてまた歩きはじめる


誰になんと言われようと
そんなことはかまわない
僕はひとりでゆっくり草原を歩いていくんだ
大丈夫だ
さあ
新しい冒険の旅が始まるんだ
僕は一生懸命
自分にそう言い聞かせていた

映画「学校4」より

6月7日
今日、面接の模擬練習をした。
ぼくは面接官役だった
ぼくは仕事柄そのようなことをする
面接を受ける側だけをやっていたのでは
ぜったいに気がつかない視点というのがある
ぜったいに味わえない気持ちを味わうことができる
面接を受けるのにどんなことに気をつけたらいいかわからなかったら
ぜひ一度面接官をやってみるといい
ロールプレイというカタチで
そういった意味でもロールプレイという手法は無限の可能性を
僕に感じさせてくれる。
逆の立場の役を演じてみよう
想像力には限界があるから
しかも想像力は鍛えないと使えない部類の筋肉だから
でもロールプレイは比較的導入しやすい
一度お試しあれ
きっと
何かひとつくらい発見があるから
やる相手がいなかったら
ぼくたちがご用意しますよ
新天地で


6月4日
今日高速道路のサービスエリアのトイレで
おもしろいものを見つけた
それは
男子用の小便器の中に赤色の的(標的)のシールが
貼ってあったのです
三重くらいの丸だった
直径にして10センチくらい
ここに命中すると
色が少し変わったりする訳です
これは面白いし
これがあることで便器の周囲を
汚す確率が減るんではないかと
そのためにつけたんではないだろうか
思わず感心してしまった一幕でした

6月2日
結果を恐れず、勇気をもって行動を

あまり結果にとらわれないで過ごしましょう。
 結果はどんなことをしても出てくるものなのだから、
それに振り回されないように
勇気をもって行動してみましょう。

5月31日
いま、時代はスローフードブーム
ブームっていってもこれはもはや
一過性のものでは終わらない気がする
ファストフード全盛の時代を経て
スローフードが見直されている

そして、いまスローライフが注目されている
それはファストライフという言葉があるかどうか
知らないが
効率優先の時代
いかに早く正解に辿り着けるかの競争
早くゴール(人生の成功方程式というものを
だれかが作り上げたなかで定められたゴール)
に到達した者が勝者という社会
そこから
ゆっくり楽しむ人生

それは、以前私が考えていたことですが
人生を遊びとして捉えるか
はたまた
仕事として捉えるか
この違いが大きい

もしも遊びならば
いかに余計なことに時間を費やして遊ぶかが重要
しかし、もし人生は仕事と捉えるならば
できるだけ早くやり終えることに重点が置かれる

あなたが
箱根の山に観光旅行に行っておだんごをおみやげに買って帰ってくることと
箱根の山に自分の店の在庫切れのためおだんごを仕入れに行って帰ってくることは
おだんごを買って東京に帰ってくるという点では同じだけれど
意味合いはまったく違う
旅行の場合は、途中で景色を見たり、寄り道したりするだろう
仕事の場合は、道草せず、ただひたすら急いで購入して早く東京に戻ることしか
頭にないだろう
このように仕事か遊びかで、違うんです
こうやって言うと、「なんだあたりまえじゃないか」と
言うかもしれないけれど
様々な場面において
ぼくたちは何かをやるときに
仕事モードの考え方に支配されている場合が多い
ことさら人生全体で考えたら
人生を遊びとして捉え続けている人は
どれだけいるのだろうか
疑問である
「我こそはいつだって人生を遊びとして捉えて生きている」
という方がいたら、私にメールを送っていただきたい
是非、インタビューさせていただきたい。

5月29日
よのなかには唯一の正解なんてない

5月28日

いまの世のなかでは「生きたい」は、「行きたい」なのではないかと思うことがある。

なにが言いたいかというと、「生きる」がまるで「行きる」みたいだってこと。

余計わかりづらくなってしまった。

今の社会では。

まるで、ダイナミックにA地点からB地点まで移動をすることに

価値があると信じられている。

ただ存在(be)していればいいって感じではない。

世の中の人たちにもう一度聴かせたほうがいいんじゃないか。

ジョンレノンの「Let it be」を。

Imagine all the people

You say can t say wow wow

あっ、これはイマジンだった。

なにをしているからよいとか

なにをしてないからわるいとか

そうでなく

なにをしていてもよい

ただあなたがいるだけで

ただそこにいるだけで

あなたの居場所にいるだけで

無条件は人を安心させる

それが基本にあってほしい

ひとはあまいと言うけれど

僕はやっぱりそう思う

だってしょせんおいらはアマちゃんだから

思っちゃうんだからしかたない


5月26日
まちがったら、やり直せばいい
何かに失敗したら「誰でも失敗はするものだ。
失敗から何かを学ぶことのほうが大切なのだ」
と、やさしく自分に、言葉をかけてやりましょう。

5月21日
堂々と自分の世話をしよう

自分の世話をしていますか。
他人の世話ばかりするクセがついていると、
自分の世話がおざなりになりがちです。

5月20日 
異なる価値観を持つ他人と遭遇できる
コミュニケーション空間での
対話が大切と思う。
だからそうゆう空間をつくっていきたい。


トップページへ戻る